●パレットークで描かれたエピソードから
先日パレットークで、実際にトランス男性(トランスジェンダーの男性、FtMのこと)に起きた体験談がマンガ化されていた。
(あいかわらずTwitterの反応が醜いので、Instagramのリンクを貼る。)
実際にあったことなのだから当然なのだけど、「トランス男性だからこそ」の酷い扱われ方が描かれている。バッシングが酷いのでそこはあまり見ていないし話題にする気もないが、ちょっと人々の反応に面白いものをみた。
マンガを読んだ人々の反応は、大きく二つに分かれているらしかった。
①「こんなのトランス男性でなくたって味合わされる、女性蔑視だよ。この人物はトランス男性ではなくて、所詮女でしょう。女らしさや女性差別に耐えられないだけだ」
②「ほら、男の上司は確かに酷いことを言ったけど、こんなのシス男性だって酷い扱いを普段からされているよ。男扱いされているわけだからいいじゃん。男扱いに耐えられないの?」
日常的に起こり得るトランス差別を思うとまったく笑い事ではないのだけど、でも人々のこの反応はとても妙だ。おそらく、「トランスジェンダーかつ男性」である人への差別が全く想像ついていないのだろう。
①は「シス女性と同じってだけ」とトランス男性への差別を矮小化し、
②は「シス男性と同じってだけ」とトランス男性への差別を矮小化している。
いずれにしろ、トランスの男性は想定されていない解釈だ。だから、バグが起きている。①と②で(同一人物が同時にこの二つの反応を取ったのではないにしろ)反応がチグハグだし、想像力の乏しさが滲み出ている。
一方ではトランス男性を「シス女性」の枠に押し込め、他方ではトランス男性を「シス男性」の枠に押し込め、「ほら、シスと同じじゃん」と無理やりシスジェンダー中心主義に押し込めて理解しようとしているから、実態を見損なっているのだ。
ここで、トランスミサンドリーという言葉の出番だ。
●トランス男性に向けられる偏見を何という?
トランス男性がトランス男性であるがゆえに被る偏見を指すために、トランスミサンドリーという言葉を借りる。記憶の限りでは、日本語で聞いたことがない。
その用語は英語版Wikipediaで「トランスジェンダーの男性に対する差別」という項目を何気なく見ていたら見つけた。Wikipediaのわりに随分充実した記述があったものだから驚いた(トランス男性の内部事情に詳しくないと書けないような性的シーンでの記述もどこかにあった)。
トランス男性に向けられる偏見や嫌悪を、トランスミサンドリー(transmisandry)、またはトランスアンドロフォビア(transandrophobia)、アンチ・トランスマスキュリニティ(antitransmasculinity)などと言い表せるようだ。
ミサンドリーは男性嫌悪、男性憎悪の意味で使われ、アンドロフォビアは男性恐怖症の意味で使われるので、それのトランスかつ男性に向けられたバージョンということだ。
まず、前提として。トランス男性にはさまざまな生活形態の当事者がいる。
・すっかり男性側に埋没していて、日常生活では「シス男性」として扱われることがほとんどの人。
・あるいは、トランスジェンダーであることは知られていて、男性扱いされている人。こういった場合、露骨に「トランス男性」という別枠扱い(第3の性、的な)されることもあれば、
・「戸籍が生活実態とはズレている男性」や「立ちションはできないので、日常的に個室トイレを使う男性」みたいに、性別における扱いが多くのシス男性と変わらないという、トランス男性もいるだろう。こういったケースではむしろ、「外国籍の男性」とか「排泄に障害がある男性」のような、シスートランスという性別の置かれている状況で想定されるよりも、もっと別の条件で見なした方が早い場合も考えられる。
・あるいは、カミングアウトしていようがしていなかろうが、すっかり「シス女性」のように扱われているトランス男性もいる。
あるトランス男性が完全に「シス女性」としてしか扱われていない場合、そこに男性に向けられる「ミサンドリー」が生じるとは考えにくく、性差別はミソジニーから生じているのだろう。だが少しでも「男性」側に生活を突っ込んでいると、「ミサンドリー」をトランス男性も被ることがある。
だからトランス男性には、男性全体に向けられるミサンドリー/アンドロフォビアが降りかかることがある。トランスだと認知されず、単に(シスの)男性だと見なされていたら当然そうだし、トランスだと認知されていても同じく男性全般に向けられるミサンドリーを被ることはある。
例えば公共交通機関で「なんとなく男性の隣の席は嫌だなぁ」と避けられるとき、うっすらミサンドリーが発動されていることになるだろう。トランス男性も、シス男性と同じように「なんとなく隣に座りたくない男性」というカテゴリーの一人になることはあるのだ。
だが、シスの男性ならば問題にならないが、トランスの男性だからこそ蔑視が向けられる事例もいくつかあるというわけだ。それがトランスミサンドリー。
●トランス女性に対する「トランスミソジニー」
話をズラす。
トランスフェミニストのジュリア・セラーノさんは『ウィッピング・ガール』で、「トランスミソジニー」を説明している。ただのミソジニー(女性蔑視、女性嫌悪)に限らず、トランス女性やトランスフェミニンな人物に向けられる、特有の蔑視をそう呼ぶ。
例えば、トランス女性にセクハラしておいて、「お前は男だから体を触ってもイイと思った」とのたまうのも、トランスミソジニーだろう。
単に「男」扱いしているわけでは決してなく、しかし「シスの女」扱いとも違う、特有の蔑視が入り込んでいる。トランスジェンダーであり、女性である、という二重の状態が作り出している状況なのだ。
●「シス女性ではないが、シス男性としては認めない」
さて、聞き慣れない「トランスミサンドリー」について。
パレットークのマンガでいうと、トランス男性に対して、男性の上司が「おまえが男だっていうなら下半身どうにかしろ」といった発言を投げている。これは単にミソジニーでもミサンドリーでもなく、「トランスミサンドリー」なのだ、と考えると何が行われているかわかる。この上司は、シス女性にもシス男性にも、完全に同じようにはこうした言葉を投げ返さないだろう。相手がトランス男性だとわかったからこそ、こんなことを言う。
下半身に自分の性別の価値を見出そうとするのは、おおよそ「男の価値観」といえるだろう。なぜか男性は、ハゲと包茎(あるいは童貞)を気にする。身体へのケア意識が薄いにもかかわらず、毛髪とペニスは気にする人が多いらしい。最近の文脈でいえば、「カツラをたくさん売りたい商売人」や「包茎手術で儲けたい医師」の手のひらに転がされているだけだ。まあもっと歴史はたどれるが、毛髪とペニスを気にせざるをえない男性の価値観は社会的に作られたものである。
で、その上司はそんな「男の価値観」にのっとって、「ペニスがないくせに、お前は男とはいえないだろう」と冗談を飛ばしているらしい。この様式は、もちろんシス女性を職場でバカにしたいシス男性が用いることもあるだろうけど、それだけでなく、相手がトランスジェンダーであり、決して性別を超えられない、こっち(シス男性)側にこれないのだ、と言い表すために言っているのだろう。
相手が単にシス女性だったら他にいかようにも侮蔑の仕方があるので、この「男の価値観」に支配されながらわざわざ言葉を返すあたりに、トランス男性を「完全に女」とは見ていないけれども、「完全に男」とは認めていない感じが伝わってくる。
さて、シス男性に対してもペニスを介した侮辱は多発する(らしい)。
でも、そこでシス男性が否定されるのは「男のくせに、男らしくない」あるいは、「(例えば巨根で)ナヨナヨした男のくせに、チンコだけは男らしい」とかそういった類のホモソーシャルなやり取りだと思われる。出生時から男性なのだとわかりきっている人物に対しては、「男らしさ」は否定され得るが、「男であること」そのものが脅かされることは基本的にない。「男のくせに」という前提は維持されたまま、「男らしさ」の欠如を咎められているわけだ。
※時代や文化圏によっては、人種的マイノリティであることや男性同性愛者であることが、「男であること」そのものへの否定として機能することもあった(ある)かもしれないが。
だからトランス男性に対する侮辱は、男性に向けた形態をとることがあっても、「シス男性だったらこんな目に遭わなくて済んだはずなのに」という釈然としない感じを残す。そこにあるのは、これまで意識されてこなかった「トランスミサンドリー」とでも呼べる差別のかたちだからだ。
おそらく、トランス男性自身も「一応、シス女性でない扱いをされたってことは、その部分だけは歓迎すべきだろうか......」「でも明らかに、シス男性とは違う冷遇だ、侮蔑されている」と思うかもしれない。もちろん、シス側も「トランスミサンドリー」をなんとなく分かっていて、あえてやっているはずだ。ただし、この屈辱が都合よくシス中心主義で解釈されると、そこで起こっていることは見えてこない。
●トランスミサンドリーの事例
他に、単に(シスも含めた)男性全般が被るミサンドリーとはちょっと違った、「トランスミサンドリー」で考えられる事例を挙げておく。
例1:
相続。男性に相続権があります、といっているくせにトランス男性には相続させない、というケース。
例2:
映画『ボーイズ・ドント・クライ』で描かれたように、トランス男性だとバレたらシス男性にレイプされて殺されるケース。多分これは、単に「“女”が男を騙した」から危険な目に遭っているわけではない。「女のくせに」というよりは、どちらかというと「トランスジェンダーという気持ち悪い存在のくせに、俺たちを騙したな!」というような、トランスフォビアが強く混ざっていて、なおかつ「男性」として肩を並べたこともあった奴だからこそ許せない、というような、特有の形態があるのではないか。単に「女への静粛」ではなく、「男同士ならこれくらいの暴力だって受け入れられるだろう」という暴力性が発揮されているとしたら、そこの部分は「ミサンドリー」ないし「規範的でない男への静粛、ホモソーシャルを壊した男への静粛」の側面がありそうだ。これは、トランスミサンドリーっぽい。 例3:
トランス男性が妊娠・出産したケース。これは、「男性のくせに妊娠してしまっている」という特殊な状況がシス側に咎められている。ただ単に「女性が妊娠した」ということへの反応とは違っている。「男であろう存在が、妊娠している」特殊性への抵抗がそこにある。もしかしたら、「妊娠できる男」への恐怖反応なのかもしれない。男性といえば、従来「妊娠できる能力」を持たなかったし、想像もしてこなかった人が多いだろう。それなのに、トランス男性が妊娠できてしまうというのは、シス男性からしたら、「過剰に能力を獲得している」存在にみえていて、それゆえ受け止められていないから差別するのではないか。これも、トランスミサンドリーっぽい。
以上、トランスミサンドリーの紹介でした。 トランス男性が都合よく不可視化され、せいぜいシス女性かシス男性への偏見としてしか解釈されないおかげで、おかしなことになっていると思ったので書いた。
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