top of page

『トランスジェンダー問題』の画期的なところ?(ショーン・フェイ著/高井ゆと里訳)

更新日:2023年5月28日

待っていました、邦訳出版おめでとうございます。

トランスジェンダー問題』が広く読まれてほしいと同時に、いや、差別者がでっちあげるような「トランスジェンダーという問題(トラブルメーカー)」はなかったし、一方で「トランスジェンダーが抱える問題」はずっとあったのだ、と言いたいです。だから2022年の今、必要な本として『トランスジェンダー問題』が注目されるならとても嬉しいけれども、それまでの日本での蓄積も今一度顧みられるといいな。


この本は、「トランスジェンダー問題」という言葉(フレーズ)を意図的に、そして意識的に奪い返す。(p.9)

クィア的な用語法だといえるでしょう。


前半の内容は、トランスの人ならよく味合わされている日常の一部について。

もちろん、トランス間にも不平等があるので、差別や偏見が少なくて済んだ人もいるかもしれないし、多くのものを失い続けて今もじっと独りの人はいるでしょう。トランス特有の困難については、日本でトランスジェンダーの権利のために活動している人々はずっと主張し、闘ってきてくれたのだと思います。


イントロダクション 見られるが聞かれない

第1章 トランスの生は、いま

第2章 正しい身体、間違った身体


だから私の感想としては、「そうだよね」「でも実際の数値や、トランスの個人が自死に追い込まれるエピソードは辛いな」といったものでした。


日本でのトランスの活動をパッと思いついたものだけ少し挙げてみます。


たとえば、

若いトランス(かもしれない子)たちへのスペースを作ろうと、にじーずを運営しています。

●浅沼智也さんは、「LGBT当事者で精神疾患、発達障害、依存症(アルコール・薬物・性行動、他)などの問題を抱える方のための、自助グループ」である「からふる@ハート」をやっていました。メンタルヘルスとトランス当事者の課題について取り組んでくれる、日本で非常に貴重な活動だったのではないでしょうか。主張の異なる多数のトランス当事者に取材した『I Am Here〜私たちはともに生きている〜』の意義は大きいはずです。


●西原さつきさんは、乙女塾を経営し、女性的になっていこうとするトランスの人々の、一番きつい時期を見守って励ましてきました。世間的には「女装している男性」や「フェミニンな男性」とみなされると酷い眼差しを向けられがちで、その生き地獄を応援してくれる人はほとんどいません。西原さん(通称、さつきぽん)がいるおかげで死なずに済んだ、トランス女性的な人はいるはず。


●三橋順子さんは、日本で最初にトランスジェンダーの大学教員となったうちの一人。教員として呼ばれているにもかかわらず、校門で怪しまれた経験もあるとか。あれから20年以上経って、ようやくトランスジェンダーを公表している常勤の大学教員も少ないながら出てきました。


●山本蘭さんが代表を務めるgid.jpは、トランスの人(性同一性障害を有する人)が収容された際の措置について、2013年に要望書を提出していて、さすがやることはやってくれているのだな、と感心しました。(元の法務省の規定は、見るに耐えない酷い内容です。「訳者解題」でゆと里さんが紹介しているのを見て、私もすぐ法務省に要望を送ったほどです。)


●のちに特例法制定に尽力した虎井まさ衛さんは、自身は陰茎形成までなんとしても終えるため情報の少ない1980年代、90年代に渡米しました。とはいえ、他のトランス男性が皆同じ願望をもっているわけではないことをよく気にかけていたように思いますし、自伝では「自分のように別段男らしくないFtMもいる」「両性愛の気質があった(女が好きだから男になりたがっている、というFtMへの偏見を強化しないための文言)」などとおっしゃっていました。必死にアメリカから情報収集して、ミニコミ誌「FTM日本」を残してくれた功績は大きいです。


●最近『チェイサーゲーム』出演が話題となった若林佑真さんは、2010年代から俳優業をやっており、新宿二丁目のFtMバーでカウンターに立って、かつての私のような当事者を出迎えてくれている人でもあります。また、トランス男性のコンプレックスをあえて出すフォトエッセイ『COMPLEX』の趣旨は素晴らしいものです。

NPO法人ReBitは、LGBTの状況調査に努めています。代表の藥師実芳(やくしみか)さんは、とあるイベントでお話しされていた際にきわめて的確なトランスの情報を口にされていて、こんなに聡明なトランス男性が日本にいたのか!と感激しました。


●他にも多くのトランス男性(FtM)YouTuberの情報は、これから男性化のトランジションの荒波に繰り出すAFAB(Assigned Female At Birth:出生時女性)のトランスジェンダーに必要な情報を提供してくれました。

●ネットのない時代には、少しでも良質な情報を残そうと、自伝を書き上げてくれた人たちがいます。参考:【FtMの本】トランスジェンダー男性のエッセイ・自叙伝をご紹介します

●偏見のはびこるメディアでトランスジェンダーの存在認知に一役買ったのは、トランス女性の有名人の影響が大きかったことでしょう。彼女たちをテレビで観て初めて自分がトランスジェンダーである可能性に突き当たった当事者は、たくさんいます。


もちろん、私はこうした活動内容の全てに賛同しているわけではありませんが、応援していますし、感謝しています。

ええ、細かい点を挙げればいくつも指摘はあるのです。「元女子」とか「性転換手術」という言い方は避けてほしい。当事者のプライバシーの取り扱いを慎重にしてほしい。性器の形状に依らず(それは多くのシーンで重要な要素ではないため)、トランスの人が必要な措置ができるよう言い直してほしい。ストーカー行為を武勇伝のように語ってしまう有害な男性性アピールはやめてほしい。シスジェンダーに理解してもらうためにトランスの尊厳を下げる必要はないはずだ。など、いくつも言いたいことはあります。


でも全体を通しては、これまでトランスの権利のために活動してくださった方々がいて、そのおかげで私もここまで生きることができて、感謝しています。『トランスジェンダー問題』を手にとって初めてトランスのことをまともに考え出した(主にシスジェンダーの)人には、ずっと、こうした積み重ねがあったのだと知ってほしい、今に始まったことではない、と。


おそらくイントロ、第1章、第2章は、馴染み深い内容です。もしトランスの「生」全般や、医療制度についてあまり考えたことがなかった人は、ハッシュタグ「#トランス差別に反対します」と反応する前に、何が差別としてあるのか、実態を知ってほしいですね。もちろん、デモ参加や、行政へ意見書を送ることや、セックスワーカーや自営業者への職業差別が起きたときに反対すること(なぜならセックスワーカーや自営業者であるトランスの労働者は割合として多いため)も、トランス差別に反対するために必要な行動だと、私は考えています。


さらにいえば、フェイさんは資本主義の打倒や、刑務所の廃止へ段階的に向かうことを提唱しています。トランスの困難を捉えて、それだけでなくそこまで広範囲な社会改革まで「考えてもいいのか...」というのは、一種の発見でした。トランスの人は、諦めさせられてきたことが多いからです。

まあ、いいか。仕方ないか。生きているだけマシだ。


そんなふうに、黙ってやり過ごしてきたことがあまりにも多かったはずです。だから、フェイさんが主張するような制度全体への眼差しは、なかなか持てるものではありませんでした。主張にすぐさま賛同できるかどうかは別にしても、こうした思考法へ導いてくれるのは、『トランスジェンダー問題』の画期的な点です。

フェイさんはがっつりリベラル批判をおこなっているので、目の覚めるトランスアライもいることでしょう。とはいえ、一番の問題は資本主義であり、そしてまた、トランスをちっとも支援したくない右翼なのです。それらに立ち向かうために、「できる人がより“できる”」だけの仕組みは脱しなければなりません。


アクティヴィズムがただのリベラルなものでしかないのだとしたら、それはマーケティングの戦略にしかなりません。p86(LGBTQ+のホームレスに特化したサービスをおこなう「アウトサイド・プロジェクト」のハリーの発言)


(可視性の政治のような)この種のリベラルなアジェンダは解放につながるものとして提示されているが、それが生み出しているのは需要可能性の線引きである。p192


まさに今の時代に必要な議論です。最近私はマイケル・サンデルさんの『実力も運のうち 能力主義は正義か?』や河野真太郎さんの『新しい声を聞くぼくたち』を読んでから、新自由主義の功罪を考える機会が増えたため、『トランスジェンダー問題』でなされる「可視性の政治」への批判、とくに第3章「階級闘争」については大変興味深く読みました。


続く第4章「セックスワーク」と、第5章「国家」は、それらのシステムを普段考えたことのなかったタイプの日本の読者がどれほどついていけるものなのか、楽しみです。


また何かあれば感想書くかも。10月11日にはトークイベント「高井ゆと里×周司あきら「抹消された『トランスジェンダー問題』~邦訳出版記念イベント~」」もあります。

閲覧数:728回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


Post: Blog2_Post
bottom of page