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『トランスジェンダーのリアル』を垣間見て

冊子を手にする機会はなさそうと思っていましたが、ひょんなことから『トランスジェンダーのリアル』を手にしました。思いのほか内容が充実していました。制作は難ありだったようですが。


5人のパーソナルストーリー、ノンバイナリーの方から始まるのも良いですね。(先日とあるトランスジェンダー関連のイベントに参加して、そこではある参加者がかなりバイナリートランスで、ノンバイナリーに対して排他的にすら感じて残念だったので。)


●印象的だった言葉

・自分は劣っているとか、欠陥品なんだと感じて思い悩んだ。自身の中に強いトランスフォビアがあった


・YouTubeの再生回数のためにセクシュアリティを売りにして身体のことを面白おかしく話したくはなかったので、フリーランスになった


・ろうLGBTQのロールモデルがいない。手話も男女二元的な表現が多い


・老後の介護福祉ってどうなるんだろう


・生活実態は男なのに戸籍だけが女であることで、むしろ周りが混乱する状態


治療は人それぞれであること、医療には多大な課題があること、カミングアウトする/しないは本人が決めることでありカミングアウトしたくない当事者も多くいること、など留意点も言及されています。


性別は出生時から(環境によっては出生以前から)絶大な影響をもちます。一方で、性別は随分と曖昧でテキトーでもあります。


●私のリアル

先日異国料理のバーに行ったら、向かいの席のお兄さんに声をかけられました。

「男?女?」と聞かれ「おとこ」と答えると、

「ああ、じゃあ(こっちの席に)呼ばなくていいや」と呟かれ、その後、

「生まれまちがい?」と問われたので「ううん」と首を振りました。


色々ツッコミどころのある会話でした。

ウズベキスタン、というワードが聞こえて来て、もしかしたらウズベキスタン方面の出身の人たちだったのかもしれません。日本語ネイティブではなくても「(性別の)生まれまちがい」という言い回しを知っているのか、と驚きました。22年も日本在住らしいので、そりゃ珍しくないか。外見は変わらないのに、私が「おんな」だと答えていたらそっちの席にお呼ばれしていたのか。外見は変わらないのに。酔っ払っていたらどんな「おんな」でも構わないのかもしれません。


ぱっと見はトルコ人かな、と私は思っていました(他国からしたら日本人と中国人の区別がつかないのと同様に、私も「ほとんどヨーロッパみたいなアジア」系のような人々、の区別はついていないのです)。毛深めな男性が当たり前の地域からしたら、体毛のない日本人男性なんてすべからく「おんな?」と思うんだろうなぁ。体毛を半分分けてほしいくらいだ。「男?女?」と聞かれても、トランスバレしたかもと焦らなくなったのは良いことです。毛深い男性陣からしたら、羽生くんも菅田将暉も、なにわ男子の大西流星くんも、みんな「おんな」に見えることでしょう(私が「似てる」と言われたことのある有名人を列挙)。

性別を重視しているときには残酷なほど明確な区分がそびえ立っていたのに、性別を重視しなくて済むくらいトランジションのプレッシャーから解放された今は、性別の区分はなんて曖昧でテキトーなのだろうと実感します。


●話を戻します

『トランスジェンダーのリアル』内のある人の考えを読んでいて、

それでいうと私はまったく「男らしく」あろうと望んでいないわけですが、でもそれを受容して、同時に批判して、ときにその価値観を愛すように捏ね回して、「そういうシス男性もいるよな」と男性に落ち着いていてもいいように思っています。


あとジェンダー・アイデンティティの話は私には分かりませんが、男女別な場面があると「楽」なのも事実です。たとえばおもちゃコーナーが「女の子」と「男の子」用に分かれているとき、私は真っ先に「男の子」コーナーへ行けば欲しいものが洗いざらい手に入るようだからです。そういった「趣味」の領域ではたしかに私は「男性向け」というくだらないカテゴリーがある方が選択がスムーズになります。


本当に、初めからシス男性だったら、「私はおかしいのかも」などと全然考えずぼーっと生きていられたのではないかと、パラレルワールドを夢想して、そして現世界における自身の男性化に納得します。

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