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虎井まさ衛『トランスジェンダーの仲間たち』を辿る

簡単な読書記録。


トランスジェンダーの仲間たち』(青弓社、2000年)は、1999年8月の七日間、虎井まさ衛さんが渡米した時の記録です。アメリカFTM界の名だたるメンツが出てくるので、知っている人が読むと興奮するはず。

虎井さんといえば元祖FtM(トランス男性)というイメージを持たれる方が多いかもしれません。身体を変えようと渡米して、その後もFtMの仲間のために一人でミニコミ誌「FTM日本」を発行していました。著書もいくつか。まあ本人はその気はなかったかもしれませんですが、実質日本で大きな役割を果たした方です。


最近ほかの虎井さんの本も続けて読んでいましたが、大事なことをすでに一人で書き残してくれていて凄いことです。1990年代頃。虎井さんは二、三年に一度はアメリカへ行っていたそうですが、性別再指定手術をした際にその国を気に入ったのもあるとはいえ、わざわざ男性ホルモンを入手するためにアメリカの主治医に会いに行っていたのだとか。ホルモンのために?!二週間に一度の注射を面倒くさがる最近のトランスパーソンはこの時代から見ればめちゃくちゃ恵まれてますね......。


メモ:

1987年9月 FTMニュースレター第1号が出された。

 創設者のルイス・サリバンがエイズで死亡した後、ジェイムズ・グリーンがついで発展させた。

→1994年 虎井まさ衛がFTMニュースレターを手本に、「FTM日本」を発行。

1994年 第1回全米FTM会議@サンフランシスコ 2日半で400人来場


・男性ホルモンには、パッチも存在する。テストステロンのジェルがじわじわ身体にしみ込んでいくタイプで、注射よりホルモン値が安定する。ただしパッチは毎日張り替えなくてはならない。(p82)


ーーーーー


シスジェンダーの人にありがちですが、「その性別で生きること」と「その性別らしく生きること」を混合している件。

直近ではIWAKANの「男性制」特集がそうで、「男性中心の制度」や「男性性」について問うのかと思いきや、「男らしさ」の話に終始している印象が強くて、そこは物足りなく感じてしまいました。


でもトランスジェンダーの人はそこの解像度がグンと高くて、やっぱり性別のことを考える時にトランスの経験を無下にして考えられないだろう、と感じました。


以下、虎井さんより引用。

シンボルとしてのペニスをわがものとし、最後の一枚を脱いだときですら男としか思われなくなった途端、私はとても優しくなってしまった。故意に強がることなどなくなってしまった。
〜長いこと私は、性同一性障害をもたない人々はみんなこんな気分でいるのだろうなあ、いいなあ、と思っていたが、どうもそうではないらしい。「ふつう」の男女は案外「らしさ」に縛られていて、だからこそ「らしさ」に縛られていないように見えるTG(※トランスジェンダー)に脅威を感じるようなのだ、自分の「らしさ」を揺さぶられるように思って......。(p.32-33)

このあたりは、トランスヘイトがなぜ起こるのか、解明してくれているよう。


虎井さんの場合は、手術してから自分が納得して「男」を生きていけるようになったので、別に「女みたいな男」であろうがなんでもいい、だって自分は男だし、自分は自分だし、と思えるようになったのだといいます。

なぜ(一部の?多くの?)シス男性は、違和感なく自分の身体を生きてすでに「男」をやれているにも関わらず、「男らしさ」にこだわったり、あるいは「女らしく」みなされることに怯えたりするのでしょうね。「男であること」をうまく言語化できていないように見受けられます。


虎井さんの別の本『語り継ぐトランスジェンダー史』では、

とりわけ(シスジェンダーで異性愛者の)男性たちが、「男らしさ」を揺さぶられることへの恐怖感が強くあるのではないか、と指摘するような箇所もありました。

『金八先生』ではFTMである生徒(上戸彩さんが演じました)が受け入れられていたけれど、それはフィクション作品だからであって、現実はそんなにうまくいかないよな〜、に続けて以下の通り。


大抵の性的に問題がないと自分で思っている男というものは、性的少数者を怖がるからである(性がゆらぐことがある、という事実に耐えられないのだ)。(『語り継ぐトランスジェンダー史』p163)

今度、男性学っぽい本を書くときは、トランスジェンダーの話もたくさん参照して書きたいと色々膨らませています。結局そうやってトランスジェンダーの体験に当たってみることが、一番「男性学」に向き合うときにも近道になる。というか、必要不可欠なのだとつくづく思うのです。


虎井さんと親交深かったジェイムズ・グリーンの著書は、本当に邦訳されてほしいです。

以前『現代思想2021年11月 ルッキズムを考える』で山田秀頌さんが「可視化か不可視化か――トランスジェンダーのパスの経験におけるジレンマ」を寄稿されていましたが、そこで引用されている“Becoming a Visible Man.” (Green, Jamison) が日本語で読みたい。

私も『トランス男性による トランスジェンダー男性学』でJamison Greenを少しだけ参照していますが、虎井さんの体験談と繋がるといいなぁ。

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