この2冊をパラパラ読んだ。
大雑把な感想だが、似てると思った。
「LGBT」もフェムテックも、ビジネスにされてしまっている。
だがその背景にはもっと根深い、既存の男女二元論や婚姻制度を揺るがさないこと、という縛りがある。それが似ている。なんだか新しい風を装っていながら、全然変える気がないところ。
フェムテック特集の、最初の対談は面白かった。というか読んでいて怖くなる。
菊池夏野さんの紹介によれば(p.19)、「フェムテック」というのは、生理管理アプリ「Clue」を創業したイダ・ティンによって最近のマーケティング用語として登場した、と理解されやすいが、実はそうではないと。
社会主義圏で使い捨て生理用品の市場が拡大されていて、そのタンポンのメーカーがソ連に進出する際のプロジェクトの名称だったという。
それを、マーガレット・サッチャー首相ーー今ではネオリベラリズムの元祖ーーも支援していた。つまり最初から、女性の権利を奪いながら身体性を変質させていくイデオロギーとして「フェムテック」はあったのではないか、と。
産めよ増やせよ、そして.......働けよ。
国家に都合良い労働力として、女性の生殖が管理されている側面がある。それは新しさでもなんでもないし、女性が自分の身体を生きることとは程遠いのかもしれない。
フェムテック特集では、日比野由莉さんの「男性の視点から見た生殖」も読み応えがあった。正直私は代理母についてどう考えていいのかわからずにいるので、この論考に価値判断を下せるわけではない。が、「女性の問題」として片付けられがちな生殖を、「男性の問題」で捉えるのは外せない視点だと思った。
結婚制度の中で生殖をおこなっていた女性が正規雇用の労働者だったとすれば、代理母は、いわば生殖における非正規労働者のようなものであるともいえる。p202
他方、2015年10月LGBT特集である。
7年半も前なので、この頃は同性婚の話題が多い。LGBT運動が「同性婚」一辺倒になってしまうことへの危惧がある。
T=トランスジェンダーは、吉野靫さんと三橋順子さんがまとめているが、ページを割いて書かれているのはそれくらいだろうか。
マサキチトセさんの「排除と忘却に支えられたグロテスクな世間体政治としての米国主流「LGBT」運動と同性婚推進運動の欺瞞」は大事。
『トランスジェンダー問題』でも語られていたことだ。
最近のレンボープライドも、見える範囲では、日本人、外国人ならば白人、男性主導、ゲイ向けばかり、家族や同性婚は大事な価値観に組み込まれているがそれ以外は置き去り、という様子がみうけられた。「ひとりでもレズビアン」「結婚はビンボーのはじまり」くらい言わなきゃ現実じゃないよな。
階級はガン無視で、『チャヴ 弱者を敵視する社会』を思い出さざるを得なかった。
この特集から変わっていないか、悪化しているのでは。
Comments