集英社新書から『トランスジェンダー入門』という本が刊行されました。私はその本の筆者のひとり、周司あきらです。
共著者である高井ゆと里さんによる、内容紹介はこちら。
(こういう本、欲しかったよね。私も高校の図書館でこれを見つけていたら、その時は抵抗感や緊張感が強くて手に取れなかっただろうけれど、5年後くらいに入手してありがたく読んでいただろうな。)
【長い前置き(飛ばしてOKです)】
でも、現状わかりやすくまとまった一冊がどうにも見つからなかったので、自分(たち)で書くことにしました。仕方ないですよね。「差別したくない」という優しげな気持ちだけでは結局トランスジェンダーのことなど全く分からずじまいだし、研究者の培ってきたトランス・スタディーズとか、医師の書く「性同一性障害」の本とかでは、生活実態が見えてこなかったし。ネットの情報はどれがデマだかわかったもんじゃない。SEO対策を意識した企業や個人ブログの記事ではなんだか似たような記述が金太郎飴みたいに出てくるけど、いやもっと身に迫る感じでトランスジェンダーの実態が知りたいのよ、って人は多かったのではないでしょうか。YouTubeでは真面目な性別移行の説明や日常を写したものもあるといえばあるのだけど、それ以前に上がってくるのは「エチエチ質問」とか「性転換手術」とかキャッチーなサムネイルで、一体これでトランスジェンダーについてわかるのだろうか?って心配になるでしょう。
......私もです。なので先人の取り組みを一冊にまとめることにしました。
こんなことなら別に“当事者”でなくても一冊にできたとは思うのですが、とはいえせっかく高井ゆと里さんと書くチャンスを得たので、日本に紹介しておきたいデータや記述、そして具体例を盛り込んで楽しく書きました。そう、不思議なことでした。「誰かがやらなければならない仕事」だとはわかっているけれど別に私はやりたくないし、と最初は企画書を書いただけで具合が悪くなっていましたが、だんだん元気付けられていったのは不思議なことです。結果、2ヶ月以内で一気に書き上げることができました。おめでたい。
というのも、何も『トランスジェンダー入門』は新しいことを詰め込んでいるわけではなくて、あちこちに散らばっていた既存の情報を集めて配置したものだからでしょう(8割くらいは)。よく見渡してみると、個々の料理はすでに仕上がっていました。いくつもの自伝や、医師や団体による調査や、他国の取り組み(、そして個別の出会い)のなかに、常にすでに「トランスジェンダー」の姿はありました。
でもそれを飾るプレートがなかったみたいで。少々の味付けや飾り付けを添えて、一箇所に集約してようやくたくさんのゲストに提供できたのが、この本。そんな具合じゃないでしょうか。
ちなみに私自身は「トランスジェンダーであること」へのアイデンティティとか、プライドとか、仲間意識とか、素直にもっていないタイプらしいので、これまで「トランスジェンダー」という集団や属性を自分と結びつけて考えることは基本的にありませんでした。「トランスジェンダーであること」というのは、アイデンティティというよりは、「A地点からB地点へ移動した」経験に近いもので、その境遇を客観的に言い表しているだけ、という感覚が近いからです。
でも『トランスジェンダー入門』という新書を書くことを通して初めて、「同じような道を歩いてきた人たちが過去にいたのだ」という事実に突き当たることができました。それはトランスジェンダー・アイデンティティが希薄な私にとっても、励まされることでした。
【前置きはこのへんで終わり】
もしあなたが「一冊の本ですべてがわかるだろう」といった読書への幻想を抱いていないタイプであれば、とりあえず『トランスジェンダー入門』を読んでおくことで、他のトランスジェンダー関連の情報源にもアクセスしやすくなったのではないでしょうか。そうだといいなぁ。
さて、新書『トランスジェンダー入門』と合わせて読みたい本など、いくつか頭に浮かんだものを独断と偏見でまとめてみました。古めのものもあえて含めています。
【本】
『トランスジェンダー問題』(明石書店、2022年)
ショーン・フェイ/高井ゆと里訳
訳者の高井ゆと里さんと『トランスジェンダー入門』を書くきっかけになったのは、先に『トランスジェンダー問題』という本が邦訳されたからでした。それぞれに孤独な状況に置かれやすいトランスジェンダーの人たちについて、こんな社会を作り出している構造について、大きな枠組みでまとめあげた一冊です。しかし1冊目に「これ読んでみて」と他者に勧めるには『トランスジェンダー問題』はいささか難しかったのではないでしょうか。なので『トランスジェンダー入門』では、英国ではなく日本の状況に合わせて、新書で簡単に読めるように心がけて書きました。新書を読んでから『トランスジェンダー問題』を読むのがオススメです。
『トランスジェンダリズム宣言 性別の自己決定権と多様な性の肯定』(社会批評社、2003年)
米沢泉美編著
『トランスジェンダー入門』の帯には「トランスジェンダーの全体像がわかる本邦初の入門書」とあります。もし類書を挙げるとしたら、この『トランスジェンダリズム宣言』が唯一の本かもしれません(他にもあったらすみません...)。社会で受ける差別や医療の話、そして当事者コミュニティにおける差異などよくまとまっています。執筆陣はMtFスペクトラムの人間(いわゆるトランスジェンダー女性的な人たち)に偏っている、というのは批判もある通りなのですが。
さて、「トランスジェンダリズム」という用語はこの頃せいぜい「トランスジェンダーであること」くらいのシンプルな意味合いで使われていたかと思います。最近だと「トランスジェンダーだと自称すれば好きなふうに性別分けスペースを利用できるわがままな思想」くらい歪曲して使用されているように見受けられますが、酷い印象操作ですね。
『多様な「性」がわかる本 性同一性障害・ゲイ・レズビアン』(高文研、2002年)
伊藤悟、虎井まさ衛編著
「LGBT」の連帯が見える初期の本(だと勝手に思っています)。このとき語られているエピソードは、20年経った今でも馴染みのある内容かもしれません。はたして社会は「良く」なったのでしょうか?
多少の変化としては、同性愛がトランスジェンダーと混合される機会は減ったのかもしれませんが......この本では、レズビアンの女性が「自分は本当は男なの?」と考えてみてオナベバーで働いたけれどやっぱり自分は女だった、という語りもあります。とくに周縁化されやすい発達障害や、DSDsでなおかつLGBTの人たちの姿がここにあります。
『「地方」と性的マイノリティ 東北6県のインタビューから』(青弓社、2022年)
杉浦郁子、前川直哉
この本はトランスジェンダーに限った話をしているわけではありませんが、東北で生きるLGBTQ+の人たちへのインタビューと、そこから見えてきた東京中心主義(メトロノーマティビティ)について書かれています。オープンかクローズドかはグラデーションで、地方(というより地元?)では可視化の政治とは異なるアプローチが効果的にとられることがあります。トランスジェンダーの人は「オープンかクローズドか」を自分で選択できないことも多いので、その点からも参考になりそう。
特に第4章「東日本大震災とその影響」は必読。避難所に行く以前に、このまま死んだ方がマシでは?と「逃げる」選択肢が最初から奪われている人もいます。「上から目線」で被災地を助けてあげる、のではなく、自分たちが被災することをもっと身近に考えたらどうか、という問題提起もあり。
『あなたが「僕」を知ったとき 性同一性障害、知られざる治療の真実』(文芸社、2009年)
前田健裕
トランスジェンダー男性の手術の記録です。自伝、といえばその通りなのですが、この本は特に陰茎形成手術の情報を、必要としている当事者に伝達する意図が強いでしょう。だからなんとなく興味本位で「トランスジェンダーについて知りたい」と思った人が取るべき本だとは思いません。ただ、他にいくつも刊行されている自伝のなかでも特に、自分の唯一の身体をどうやって「自分のもの」にするのか、すさまじい覚悟が書かれていて印象的だったので挙げました。
著者は陰茎形成手術の手筈を一度は整えていたにもかかわらず、他の術式の話を聞いて、本当に今の選択肢でいいのだろうか?と迷い、手術を延期して悩みに悩みます。手術を必要とするトランスジェンダーの人の中でも、「今の地獄が終わるなら手術の結果は二の次でいい」という諦めの姿勢はやはりあるように思うので、それでもちゃんと自分の身体の決定権を自分で持っていたいものだよな、となんだか目が覚めました。
以上、5冊の本を紹介しました。
【日本のトランスジェンダーの変遷】
●1990年代後半に「性同一性障害」の存在が一部の当事者や医師の間で知られ、治療の道筋ができてきました。
●2002年にドラマ『金八先生』放映、競艇選手が「女」から「男」に性別変更、という2つのニュースで「性同一性障害」という名称がお茶の間に知られることになりました。「かわいそうな障害者」のイメージが強かったわけですが、同時に「オネエ」「ニューハーフ」タレントの存在も可視化されていたかと思います。
●2010年代は「LGBT」という括りで捉えられることが多かったためか、「トランスジェンダー」に特化した話題は静かだったかもしれません。なお、この間「性同一性障害」という医学的な名称は使われなくなり、類似の状態を指す言葉として「性別不合」が使われています。
●しかし2010年代後半からオンライン上でトランスジェンダーへの差別が悪化して、「トランスジェンダー」単体で語られる(引きずり出される)機会が増えました。
●そして、2023年7月『トランスジェンダー入門』が刊行されるに至りました。
【映画】
『トランスジェンダー入門』の「第3章 差別」で依拠した、Netflixのドキュメンタリーです。トランスジェンダーの「ダメな表象」が(残念なことに)溢れんほど紹介されています。
『マティアス』
トランスジェンダー男性の映画として、悲惨な結末を迎える『ボーイズ・ドント・クライ』が筆頭に上がるのはさすがに虚しいので、リアルな映像描写のある『マティアス』を挙げておきます。生活丸ごと「移行」するって大変だ!
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もはや入手困難なミニコミ誌やZINE、生きているのか死んでいるのかわからなくなってしまった人のブログやSNS、そして過去から現在へ連続する時間のなかで日常生活の至るところにトランスジェンダーの人たちの姿がありましたし、ありますし、これからもあるでしょう。
新書『トランスジェンダー入門』に書かれている内容が、「最初に知ってほしいこと」です。私視点では「最初に知っておきたかったこと」でもあります。読んでください。
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