“男性差別”というと
対“女性差別”として浮上することがあります。
というより差別をどう定義づけるかでしょうが、
男性の対になるのは「女性」と相場が決まっているようです。
そうすると、マジョリティ側の男性が、マイノリティ側の女性との比較においてより差別されているだとか、あるいは「女性という属性全般」から「男性という属性全般」へ差別が為されている、とは言えません。
女性の立場を顧みるならば、
生存の危機を脅かされたり、発言権が徹底的に与えられなかったり、憎むべき不都合な事象が立て続けに現れるなかで(私が経験した「女性」の生はそのようなものでした)、女性が社会的に苦しめられていることは現状(古来から?)間違いありません。
ただ、
男性差別はないのか?
というと、その定義にもよりますが、対女性で考えなければ、そりゃあるだろう、というのが今のところの私の考えです。社会(これ自体「男社会」だという指摘もあるでしょう)から男性全般への差別とか、男性から男性への差別とか含めて。とりわけ男性自身が自らの性を軽視している(させられている)のは非常に残念、というかもったいないことに映ります。
そういった思いで、私はいわゆる?“男性の権利派”の主張を見ています。
(女性ばかり優遇しているくせに)こういう男性差別があるじゃないか!といった主張の中には、()内の含みは除いた上で、10個中2個くらいは納得するような現象もあります。
男性の権利を主張する人からアンチフェミな毒素ーーつまり性差別であり、人権問題の軽視ですーーを綺麗さっぱり抜き、
法律や医療や男性の身体の軽視など必要な方面に限って、そのエキス(主張)を抽出したい。そして、そこに立ち現れるはずの“男性差別”は解消したい。
一方、もしもアンチフェミな毒素を抜き取って何も残らなかったとしたら、最初から支持する論点はなかったことになります。......そうではあるまい、少なくとも全てがそうではあるまい。
社会的に女性差別があるのは大前提のうえで、特定の話では男性差別と見受けられる事象はあるだろう、と私は捉えています。特に気になるのが法律と医療で、男性が男性であるという理由で適切な対応が得られないとしたら、それは「男性差別」でしょうから。
けれども、男性の権利を訴えている男性の中には、現状を把握できていない(する気がない)人も見受けられます。なぜシンプルに男性の権利について提起すればいいのに、女性を蔑む必要があるのでしょうか。
よくある残念なパターンは、男性差別の一例として「女性専用車両があって女性はズルい」というやつです。
女性専用車両は、
女性への性犯罪(きっかけの一つは1988年地下鉄御堂筋事件と言われています)が起きたことに起因しており、つまり女性差別の結果であり、
なおかつ性犯罪を防げない鉄道会社が代わりに女性を隔離することで物事をどうにか収めようとするしかなかったという現在進行形の女性差別なのでは?
つまり女性専用車両の存在には、男性差別の欠片も見えません。
(まあ少しはわかりますよ、満員電車に押し込まれる日々の中、女性専用車両が比較的空いていて「ズルい」と言いたくなる気持ちは。
けれどもそれならば「空いている電車に乗りたい」「快適に通勤したい」が動機にあります。今なら、せっかく根付いてきたテレワークをやめて強制的に出社させようとする企業にNOを突きつけることが合理的だと思いますが。このしばらく電車通勤ではなかった人々まで満員電車に“増える”のが嫌ならば、あなたの関与しない企業であっても、出社推奨するのには反対するとかそういう対処法がスマートでは。
それともまさか単純に女性差別をしたいわけではないでしょうに!)
そのため、男性の権利のために(?)「男性専用車両をつくれ」という主張は意味を成しません。
男性専用車両が不要な理由は、男性が女性から被害を受ける事例が、鉄道会社が対応に迫られるほどには可視化されていないからでしょう。(もしここで男性から男性への被害が多いのであれば、男性専用にするメリットが皆無です。だからこそ「痴漢“冤罪”のために男性専用車両を」と言い出す人がいるのでしょうけれど。それなら男性から女性へ起きる痴漢に反対の姿勢を強めていくことが早いのであって、これ以上痴漢を前提とした社会で物事を進めないでくれ、とほとほと呆れてしまいます)
男性の権利を主張する人からアンチフェミな毒素ーーつまり性差別であり、人権問題の軽視ですーーを綺麗さっぱり抜き、
法律や医療や男性の身体の軽視など必要な方面に限って、そのエキス(主張)を抽出したい。そして、そこに立ち現れるはずの“男性差別”は解消したい。
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