この記事は、「トランスジェンダーの人たちが戸籍の性別を変えるためには、性別適合手術を受ける必要がある」と聞いたけれどもっと詳しく知りたい、という人に向けて書きました。
戸籍の性別を変えることは可能
トランスジェンダーの人たちが生活していると、様々な困りごとがある。その一つが、身分証の性別だ。自分の実感している性別とは違う性別が表記されていることに苦痛を感じたり、外見とはズレている身分証を持っていることで「これはあなたの身分証ではありませんよね?」と疑われたりする。だから日本での身分証明に強い効力をもつ戸籍上の性別を変えることは、トランスの人たちに求められてきた。
やがて2003年に成立して2004年に施行した「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(通称、特例法)に則れば、戸籍の性別を変更できるようになった。
性同一性障害特例法って何?
法律の内容は、こうだ。2名以上の医師から性同一性障害(現在は性別不合と呼ばれる)と診断された人のうち、次の5つの要件を満たせば、戸籍を「女」から「男」、または「男」から「女」に変更できる。
一 十八歳以上であること。(年齢要件)
二 現に婚姻をしていないこと。(非婚要件)
三 現に未成年の子がいないこと。(子なし要件)
四 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。(不妊化/生殖不能要件、手術要件)
五 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。(外観要件、手術要件)
さらに、医師の診断と治療の経過・結果が記された診断書を、家庭裁判所に提出する必要がある。
手術をする必要があるの?
2023年10月中旬の執筆時点では、原則そうなっている。特例法の4号と5号は、要するに性別適合手術をするよう求めているからだ。性別適合手術とは、その細かい手術内容にかかわらず、トランスジェンダーの人たちが自己認識に近づくように、内性器や外性器の手術を受けることをいう。
特例法の4号と5号では求められている内容や背景が違うけれど、「性別適合手術をする必要がある」という理解からひとまとめに「手術要件」と呼ばれることがある。
でも、実際には分けて検証すべき点も多い。なぜかというと、つくられた背景もおそらく違うし、FTMの人たちとMTFの人たちでは特例法の解釈に違いが出るから。
なお、この記事で「FTM」というときは、自身を男性として認識しているトランス男性だけでなく、ノンバイナリーやトランスマスキュリンの人まで含めて医療面でFTMスペクトラム上にいる人たちを幅広く含むこととする。同様に「MTF」というときは、自身を女性として認識しているトランス女性だけでなく、ノンバイナリーやトランスフェミニンの人まで含めて医療面でMTFスペクトラム上にいる人たちを幅広く含むこととする。
特例法の4号(不妊化)要件とは
「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」とは何か。
FTMの場合は卵巣、MTFの場合は精巣がないか、あるいはその生殖機能がなくなっている必要があるということだ。つまり特例法は、トランスの人たちが自分で子どもを産まないように求める内容になっている。
性別適合手術をして卵巣や精巣を取り除くだけでなく、高齢のFTMが閉経している(月経がこなくなった)場合に手術なしで性別変更が認められたケースもある。
特例法の5号(外観)要件とは
「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること」とは何か。
戸籍変更後の性別らしく見える性器でなければならない、ということだ。
MTFの場合は陰茎(ペニス)を切除するよう求められている。性別適合手術では同時に膣をつくる人もいるけれど、造膣しているかどうかは関係がなく、シンプルに陰茎の切除だけが要件になっている。
一方でFTMの場合は、もはや外観要件は求められていない。高額で大がかりな手術になる陰茎形成手術まで要求することは困難だからだ。代わりといったらなんだけど、テストステロン(男性ホルモン)投与をしていればクリトリスが大きくなってペニスのように見えなくもないからそれでOK、という解釈で通るようになった。FTMに要求されている性別適合手術とは、正確には4号要件での卵巣の摘出だけということになる(ただしFTMの性別適合手術では、卵巣だけでなく子宮もセットで摘出するケースがなぜか多い)。
法律なのに、「外観が似ていること」というあいまいな運用でいいのか!?と驚いてしまうかもしれない。そもそも大多数の人の身体はあいまいなもので、衣服を着ている日常生活ではちっとも問題視されやしないものなのだから、トランスの人たちの身体にだけ「こうあるべき」と要求しても意味がないのは当たり前ともいえる。
特例法の4号(不妊化)要件の問題点
たかだか自分の身分証を書き換えるために、なぜ生殖腺や生殖機能をなくさなければならないのだろうか。自分の性別違和を軽減するために性別適合手術を受けたい人はそうすればいいだけなのに、手術を受けたかどうかを法的な身分とくっつけて扱われるのは意味がわからない。
なかには、「手術を受けた人たちが戸籍の性別を変えるために特例法ができたのだから、手術を受けていない人が特例法を利用できないのは当たり前だ」と特例法ができた経緯をカン違いしている人もいる。それは違う。特例法を成立させるために、2003年以前に必死にロビイング活動をしていた人たちの中には、性別適合手術を受けていない人たちもいた。なにも「手術済みの人向けに特例法ができた」わけではない。
トランスの人たちが子どもを産めない身体になっていないと法的に自分の性別で生きていけない背景には、優生思想が指摘できる。優生思想とは、命に優劣をつけて、劣った人の遺伝子は残すべきではないとする考え方だ。
これまでトランスジェンダーの人たちは「性転換症」や「性同一性障害」というカテゴリーで精神障害者として蔑視されてきた歴史がある。だからそんな「精神のおかしい」「劣った」トランスジェンダーの人たちは子どもを残すべきではない、という差別的な考えが特例法の背景にはみえる。不妊化要件が特例法に含まれていることは大問題だ。また、トランスの親から生まれ育てられる子どもがかわいそうだ、というド直球の偏見も存在するかもしれないが、そんな偏見がなくなるためにも法的な承認は欠かせない。
特例法の5号(外観)要件の問題点
次は、なんともあいまいな外観要件について。4号の不妊化要件の方は、子どもを産む/産まないということにも関わるから、広く考えれば家族形成の話だとわかる。だから特定の偏った家族観を維持したい人たちは、不妊化要件があるべきだと考えるらしい。だが、不妊化要件と分けてさらに外観要件を残すとは一体どういうことだろう。細かくいうと、なぜ日本では、MTFに向けて陰茎を切除するように求める要件が残されているのだろうか。
特例法の各要件ができた妥当な理由は見当たらない。どの要件も著しく人権侵害だから全部要らないよね、という話は『トランスジェンダー入門』という新書で書かせてもらったとおりだ。外観要件についても同様で、せいぜい「社会の混乱を避けるため」なんて、やはりあいまいな理由が挙げられるくらいでしかない。
社会≒公衆浴場、を想定して「未手術の人が公衆浴場にきたら周囲が混乱するでしょう?」という人もいるけれど、法的承認の話を「公衆浴場に入るに値するか否か」にズラしてしまうのはびっくりだ。それをいうなら一部のトランスの人たち含め、それ以外の例えばタトゥーがある人や障害を持っている人も公衆浴場から排除されがちなのは問題ではあるから、誰かを排除しない“公衆”浴場の空間づくりについては、引き続き考えるべきだろう。
そしてまた、公衆浴場を利用するにあたって、戸籍や性器の形状がそれ単体で問題になることなど本来はない。性別はそんなふうに運用されていないからだ。(このあたりの話は、数ヶ月後に刊行される予定の新しい本を待ってほしい!)ということで、社会の混乱≒公衆浴場を、特例法の話とくっつける理由などない。
現状では、この外観要件はFTMとMTFに格差を生み出している(FTMに本格的な陰茎形成手術を要求するのがあまりにハードルが高いのでそれよりは簡単なミニペニス形成で許可しよう、なんて話も特例法制定初期にはあったようだが、いったいトランスの身体をなんだと思っているのだろう?ナン百万もかけて性器を切ったり、無いところから新しいものを作り出したり、ということをなぜ「簡単」「これくらいならできるだろう」とみなせるのか。......だが形成術自体が必須要件でなくともFTMの申立は通るのが慣習となった。結果としてMTF側の呑む要件の内容が重いままだ。といっても、そもそもMTFの陰茎切除だって非常に大変な手術であるには変わりないのに、そっちは放置でいいの?)。
さらに、MTF間での格差も生み出しているといえる。どういうことかというと、ここからは予想も含むけれど、共有しておきたい。
日本はニューハーフ産業が、ある程度の規模で維持されてきた。5号要件は、その人たちや性産業に対する差別的な見方が含まれている可能性がある。ニューハーフとして働くMTFの人たちの中には、性別適合手術で一度に精巣と陰茎を取り除くのではなく、精巣だけを先に摘出するケースが少なくない。それだけならまだ手の届く価格だし、望まないテストステロン(男性ホルモン)の機能を止められるからだ。そして、ニューハーフとして性産業に従事している場合は、「完全には取っていない」その姿が顧客に好まれることがある。いわゆる、「玉なし竿あり」のニューハーフとして仕事ができるということを意味する。
精巣をとっていればもう妊娠させる能力はなくなっているわけだから、4号要件はクリアできている。でも、5号要件をわざわざ別で設けることで、「陰茎のある女性なんて認めない」という見方を提示していることになる。これでは、シスジェンダーの女性に適応する気のある性同一性障害の患者さんなら救ってあげてもいいけれど、性産業で働くニューハーフの人たちなんて知りません、といっているようなものだ。両者が同一人物を指すことだってあるのに。
(追記:ここでいうニューハーフへの差別的な見方があるのでは?という意見は、特例法が職業で一律排除しているといった意味ではない。そうではなく、わざわざ4号とは別で5号要件を設けているのは、ニューハーフ的な働き方をしている人や、いわゆる闇ルートで治療をする人の順序で「先に玉だけ取る」ケースは少なくないのに、なぜそれだけでは戸籍変更は許されないのか?という点にある。)
おまけにFTMの性器の外観はあいまいでもいいのに、なぜMTF側ではホルモン投与で縮んで機能を失ったペニスはクリトリスみたいだからOK、という理屈に繋がらないのか謎だ。やはり女性として生きている/生きていく人への「許されるべき外観」が極めて狭いのだろう。
こうして一部のMTFの人たちへの差別を強化する。前提として、そもそも性器のかたちを法的な性別承認で求めることに合理性がない。ふだん仲良くしている人の性器のかたちなんて見たこともない人が大半だろう。日常生活における妨げを減らすことや、人権について話しているときに、「あなたの性器のかたちは許せるものかどうか」なんて国が言い出すのはおかしなことだ。トランスの身体をモノ化する見方を、維持し続けている。
おわりに
特例法で「手術要件」としてまとめられる4号要件と5号要件を、あえて分けて説明してみた。2つの内容に違いがあること、別々の理由でどちらも有害であることが伝わったなら嬉しい。
2023年中に、「手術要件」と呼ばれるうち、少なくとも4号の「不妊化要件」が違憲か否かの最高裁判決が出ることになっている。当然、不妊化要件があるのは違憲だと判決が下るべきだ。
ただしそれだけでなく、外観要件の方も違憲だとみなされなければ、戸籍の性別変更にあたってFTMだけは性別適合手術が不要になるけれど、MTFは引き続き外観要件を理由に手術必須、となったら全然進歩がない。というか、この裁判での申立人はトランス女性(MTF)の方なのに、不妊化要件の方だけ撤廃されても外観要件が残っていたのでは、申立人が希望するように「手術をしていなくても戸籍変更」できるようにはならない。判決次第では、トランスのコミュニティも分断されてしまうだろう。
真っ当な展開を望む。
主な参考文献
針間克己・大島俊之・野宮亜紀・虎井まさ衛・内島豊・上川あや『プロブレムQ&A─性同一性障害と戸籍〔増補改訂版〕[性別変更と特例法を考える]』
南野知恵子「解説 性同一性障害者性別取扱特例法」
野間紗也奈「性同一性障害者の性別変更審判の要件の再検討」
Human Rights Watch「尊厳を傷つける法律」2021年5月25日
朝日新聞「トランス女性に「不平等」の恐れも 性別変更の要件、最高裁どう判断」2023年9月27日
特例法の制定当時に活動していた方からのお言葉も参考にしました。
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