昔話。
女子寮にいた頃、機械音痴な私は後輩にパソコン操作を手伝ってもらっていた。すると後輩、「この曲ナンデスか!」と。突出して再生回数の多い曲があった。桁が他曲より1個か2個多かった。その時々の相手によって、失恋ソングが存在する。その時はそれだった。今もたまに聴く。というか今聴きながら文字を叩いている。そして確かに幸せになれたじゃないかと言い聞かせる。私は求めていた。変わろうが変わるまいがそれでいい、と逃げずにいてくれる人。
身体治療をすることにした。「男性」になる。そして、冒頭の言葉。後から後から針を刺す。怨みつらみで済むだろうか。「FtMは気持ち悪い」。大切な人だったはずだった。知っているのだ。メディアの登場人物や知り合いの知り合いくらいがFtMであるならば許容しただろう。だって関係ないのだから。しかし、例えば恋人や家族になるかもしれない、否、そうなりたがっている相手がFtMだったら。「気持ち悪い」んだそうだ。全身の細胞がむず痒い、毟り取りたかった。
変えられないじゃないか。骨盤はこのまま、身長は低い、胸はだらしなく付いている、ペニスは生えない、血管はのっぺりしたまま顔を出さない、声は情けない高音、あなたと共に過ごす金どころか治療費がないのだ、全てがああ「気持ち悪い」。知っているのだ。よくよく調べて、治療のことなど私よりも先に詳細を調べて、その上で私は気持ち悪いのだ。私は。変えられないじゃないか。あなたは私から逃れられるが、私はFtMであることから逃れられない。だが私はあなたを道連れにする権利などない。わかり合えなければ、別れるだけだ永遠に。だって変えられないじゃないか。私は先に行く。先に行った、だから幸せなのです。最近はずっとこの曲なんて忘れていた。
さとみさん、
全て読んでいます。ありがとうございます。
まだ一緒に買った本を読み切れていないのもあって自分の中で整理できていません。
ただ、お互いに間に合うように先に言っておきたいと思いました。
私は周司さんのBLOGに出会い(私は基本的に「~さん」と呼ぶように統一しています)、本を手に取り、前に進めたと思っています。また前を見て自らの意思で歩くという前進を再開できた事に大変感謝しています。私は走るのは苦手です、頭ではわかっていても休憩を取り体が冷えてしまうとなかなか歩き出しにくくなるものです。ですから後から来た人に追い越されるのなんて慣れっこです。私はあなたが歩いていてくれていることを感謝しています。「私が孤独に歩かずに済んでるから」ってすごくヒドイですよね。元旦の話もたどり着けなければそれまでと思っての事でした。
私は彼女が出来るたびに「男として愛されたいのか、女として愛されたいのか」と聞かれてきました。恋愛経験少ないですけどね。それでも好きになってくださる人がいるだけ恵まれているんだろうし、その度に今度こそ「男性として」生きて行こうとしてきたのです。私の場合は性自認が女性だけれども14歳(13歳?)の時に両親と話し合って男性として生きて行く事を決めました。いや決めさせられたので、内心は先延ばしにしてただけとも言えるでしょう。そんなわけで"私の場合"は「男性として生きて行きたい」の間違いだったかな。とりあえず今も生きてるんだから恵まれているんでしょう。
機会があればお会いしてみたい、でも会って何をするんだろう、私には何もないじゃないかと毎度思ってしまいます。そんな訳でお会いして話した訳でもない、一方的に私の方が少しばかり知る機会が与えられただけの私が言うのは大変恐縮ですが、私にとって周司さんは周司さんです、そして男性です。以上とか未満とか何をしたからとか「」付きだとかじゃありません。むしろ私のようなものを憐れみこそすれ、胸を張って生きているものだと勝手に想像していました。ただただ羨ましかっただけです、「かつての私へ」にコメントを書き始めたきっかけは。
私が両親と話し合って決断したのは、ちょうど埼玉医科大で日本初の公的な性別適合手術が行われていた頃、手術自体は1998年の事らしい(つまり当時に実際そんなことがあったんだという実感がない)。だから私みたいなのは最後の世代といっても過言ではないでしょう。むしろそうであってほしい。逆に当時大人ではなかったから踏み切れなかった部分もあったのかもしれない。特例法が施行されたのは2004年の事、当時の私は日本聖公会の信者として(祖父母の父母がたまたま聖公会だっただけ、その影響で他年度卒で全日制の男子校へ誘われることが出来た、男子校は男子しかいない事になっていたのでわりと生きやすかった)、カトリックの大学で宗教学ではなく神学が出来るのか(面と向かって神父である教授にも同級生にも言われてきた)や、カトリックの信者である彼女との結婚についてだとか(宗派が違うので「パンが一つであるから、私たちは多くいても一つの体です。」と言われる聖体拝領または陪餐にさえお互いを通してしかあずかれない、つまりお互いを尊重するからこそ、相手が大切にするものだから私も自身を大切にするという形で受けられず改宗にも反対されてきた)、就職への心構えだとか、女性学だとか、女性の聖職だとか(一時は私が司祭を目指してもいいのだろうかと真剣に悩んでいた、ちなみにカトリックの神父は独身の男性に限られます)に悩んでいて、当時は「それどころじゃなかった」そう言える程度の違和だったのかもしれない。もはや私は私でしかなくどの様になろうと私は私以外の何者にもなれないだろう、ただただそういう事実があるだけなのです。これらはどこまで突き詰めても私個人の話でしかない事でしょう、そして私は自身の事だけで手一杯で今している事も寄りかかっているだけなのだと言えるでしょう。
また長文を書いてしまったと自責しつつ、今回はこのまま送らせていただきます、まとまりなくすみません、削除してくださってもかまいません。さとみ