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トランス差別とSNSのズレ

すっごいズレてんなーと思う。


Q1、男性っぽい人を男性扱いしたけれど、その人が本当は(シスジェンダーではない)女性だったと後でわかった場合、トランス女性を差別していることになるんですよね?

Q2、SNSのプロフィール欄に「トランス女性」「MTF」「she/her」などと表記している人を、男性扱いしてしまった。これはトランス女性を差別していることになるんですよね? ※ただし3つ目に挙げた例、代名詞「she/her」を書く行為はシス女性もやっていることがあるので、今回ではトランス女性がそう明記していた場合だけを想定してみる。


Q1の例では、男性っぽい人を男性扱いしたけど、実は(トランスの)女性だった

Q2の例では、SNSの表記通りに相手を扱わなかった

というパターン。

いずれもトランス女性を差別しているのでしょうか?という疑問。らしい。


私の見立てでは、いずれも差別的であり得るけれど、

Q2はより差別だと認識されやすく(トランスにとっては嬉しいことかも)、Q1は何の問題もなかったかのように見過ごされやすいだろう(トランスにとっては絶望的かも)、と思う。


そもそも、確認しよう。

Q1とQ2は異なる次元の話をしている。

次元というか、文脈(コンテクスト)というか。

すっごく雑にいうと、リアルな身体を持って生活している場面と、SNSに限定された場面とで話が違うのだ。

なぜか? 性別の運用のされ方が異なるからだ。


もしかしたら、Q1のような場合でもQ2のような場合でも、「それ、やめてください、トランス差別してますよ」と指摘されて、「これが差別なの!?」と不服な顔をしたことある人はいるかもしれない(でもそうした人はきっとこのブログを読んではくれない)。


でも正直、Q1とQ2は異なる次元の話をしているのですよ。


SNSは、極めて例外的に「性自認」(=性同一性、ジェンダーアイデンティティ)が尊重される空間になっています。アカウントの所有者が明記したアイデンティティを尊重する、ということが可能になっているし、そうすべきだ、と解釈されている。ふだん「いない者」として扱われるマイノリティにとっては、SNSは貴重な空間ですね。これはトランスに限らず、そうでしょう。

例えば、「ふだん日本人扱いされるけれど、本当は他の国出身だし、他の国出身者として扱ってほしいのになぁ」という人。日常生活でフルタイム自動的に日本人認定されてダルいけれども、SNSならば本来のアイデンティティでやりとりできる、ということはあるかもしれない。

例えば、「ふだんは動物食ばかり押しつける文化があるけれど、自分はヴィーガンだし、もっとヴィーガン前提で話がしたいなぁ」という人。日常生活ですぐに状況が変わらないにしても、SNSならばもう少しのびのび情報交換が可能になるかもしれない。


SNSでならば、いくらか状況がマシになる、といったことは往々にある。


でもSNS上で許されている運用は(マイノリティにとっては残念ながら)極めて例外的であり、ほかの日常生活とは切り離された運用がまかり通っているだけなのでしょう。そのことも、痛いほど知っている。一歩外に出ると、また全然違った運用がされている、ということに多くの人は気づいているはずです。


そんなほとんど唯一の場所だからこそ、SNSで何らかのアイデンティティを表明した人を望むように扱わないとき、そのことが「差別」としてわかりやすく浮上する。

でもそれって所詮、SNSにとどまってしまう話でもある。


現実的には、アイデンティティは踏み躙られる。

Q2のパターン「SNSのプロフィール欄に「トランス女性」「MTF」「she/her」などと表記している人を、男性扱いしてしまった」は、「やるべきではないこと」として可視化されやすく、もしかしたら仲間やアライが擁護してくれるかもしれない。希望的観測ですが、もしかしたらね。


でもそれって所詮、SNSにとどまってしまう話でもある。

Q1のパターン「男性っぽい人を男性扱いしたけど、実は(トランスの)女性だった」は、どうか?

本当にその人がトランス女性だったとき、「ああ自分は女に見えなかったのか」とショックを受け、本人は傷を負うかもしれない。でもそれがすぐさま差別だといえない、いっても無駄だ、だって自分が悪い、自分の存在が、自分の努力不足が悪い。相手のしたことがシスジェンダー至上主義や能力主義やルッキズムを振りかざしてくる差別的言動だとしても、でも、自分が悪い。そう思うしかない。だから「ほら、あなたのミスジェンダリングは差別ですよ、やめてください」とすぐ返せるわけでもない。返しても無駄な気がしてしまう。


そんなズレがある。


SNSだけでトランスジェンダーを観測しようとする人は、「相手の(目に見えない)自認を尊重しろって無理でしょう?」と言ってしまうのかもしれない。でも、SNSの中でくらい「性自認を尊重」したっていいんじゃない?


SNSを一歩離れたら、「性自認を尊重」されることなど、ほとんど皆無なのだから。

(これは特に「ノンバイナリー」に顕著。今の男女二元論に支配された社会では、SNSと、当事者コミュニティくらいがせいぜい「ノンバイナリー」としての存在を許される場になっていて、だからこそSNSの場さえも奪われたらノンバイナリーはまるごと否定される心地になる。たかがSNS、されどSNSに敏感になる理由。)


Q1のような振る舞いをあなたがしたからといって、あなたは誰からも告発されずに生きていけるでしょう。あなたは、生きていけるでしょう。知らんふりして、生きていけるでしょう。


ーーー


SNSの話をするとき、たいへんやる気のない状態になるので、やる気のない文章になってしまった。

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