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日本での「FtM/MtF」呼びは、「トランス男性/トランス女性」に変わるのか

お久しぶりです。あきらです。


最近はトランス女性だけでなく、比較的ネット上の差別に巻きこまれにくかったトランス男性たちも、暇人トランスヘイターの餌食にされていますね。わざわざスクショとって晒されたり、過去の発言をあさられたりして。「(トランス女性にかぎらず)トランス男性だって危険だ。つまり、トランスジェンダーなんて認めてはいけない」みたいな。


(逆にこれまでトランス男性に特化した差別が少なかったのは奇跡ではあります。やはりヘイターというのも、結局のところは「トランス女性は女性」であり、「トランス男性は男性」であるとわかっているからこそ、「男性」であるトランス男性に何か文句を垂れるよりも、より脆弱に映る「女性」のトランス女性の足を引っ張る方が容易だったのでしょう。)


トランスジェンダージョークがちっとも言えなくなるのが悔やまれます。大体、数でいったらトランス女性・トランス男性、ノンバイナリーとその予備軍さんたちを含めたって、人口の1%に満たないくらいでしょう。それなのに残り99%以上のマジョリティには逐一文句をつけず(それだけで人生終わってしまいますもの)、マイノリティにだけ寄ってたかっておもちゃにするのは、解せないです。


私はといえば、仕事が忙しくてそれどころじゃなかったり、他の面で幸せを享受していたりして、「生活」をしているなあという感じです。この間なんて、新しく届いたキャビネットの組み立てに5時間もかかってしまいました。ええ、「女の子」育ちをしてきたものですから、家具の組み立てとか任されたことがなくって慣れない作業だったのです。そんなふうに時間が過ぎるのはあっという間ですから、暇人トランスヘイターの時間を分けてほしいくらいです。


さて。前々から思っていたこと。

「FtM(Female to Male)」と「MtF(Male to Female)」という呼称は、「トランス男性」「トランス女性」に書き換えられていっていますが、日本での受け入れられ方はどうなのだろう、という点です。


これはもう、メディアとか非当事者が用いるときには「トランス男性/トランス女性」というべきだと思いますよ。国際的事情に合わせてもそうですし、シスジェンダーの医者が決めた性器の形状や、シスジェンダーが中心に決めた戸籍のシステムや、そのシスジェンダーたちに向けて葛藤や妥協がありながら当事者(広い意味です)が提言していったという特例法のあれこれとか、そういったものを気にかけながらわざわざ「FtM」と「MtF」で呼び続ける理由はないからです。

それよりも、(ジェンダー・)アイデンティティに従って、単に「男性/女性」、そこに要素の一部として「トランスジェンダー」ということを書き添えて「トランス男性」「トランス女性」というくらいで十分でしょう。その方が実態に沿っていますし、トランス当事者の主体性を取り戻せます。




でも、日本の当事者のなかでは、まだ「トランス男性/トランス女性」というより「FtM/MtF」呼びが続いていくのだろうなーと予想しています。

なぜ「「FtM/MtF」呼びが続いていきそうなのか。

いくつか考えられる理由を挙げます。


1、「FtM/MtF」が英語だから

わかりやすいところから。

「FtM/MtF」って、英語じゃないですか。日本語圏のトランス当事者からしたら、そこに特に意味はないのだと思います。


英語ネイティブからしたら、たとえば「FtM」というのはモロに「Female to Male」の略ですから、いつまでも「女から男へ」という意味合いが感じられる言葉なのかもしれない。しかも「Women/Man」というよりも「Female/Male」という方がより身体のことばかりに着目されている気がして、居心地が悪いです。ふだんわれわれはそんなに服の中のことばかり気にして生活していないはずだし、それなのにトランスジェンダーということになると、身体のことばかり有徴化されるのはフェアじゃありません。(このときシスジェンダーの身体はなんでもないかのように無徴化されています。)

だから、英語ネイティブの視点からすると、「FtM/MtF」呼びが侮辱的に見えるのは、わかる気がします。

「オンナからオトコ」とか、もっというと「オンナオトコ」「オトコオンナ」みたいな呼び方をされ続けている感覚なのだろうか、と想像します。


でも待てよ。日本語ネイティブはそんな差異に影響を受けるのだろうか、と不思議です。

たぶん、単なる記号みたいに「FtM/MtF」呼称を受け入れている当事者からしたら、そのなかにどんな(ときに侮蔑的かもしれない)ニュアンスが含まれていたって、知ったこっちゃないのかもしれません。もし日本語で「オンナオトコ」「オトコオンナ」みたいな呼び方がされ続けていたら「うざい」でしょうし、それならば、いやさっさと「トランス男性」「トランス女性」呼びに変えてくれよ、と思っていた可能性が高いですが。


2、日本では医療重視で考えられてきたから

あとは、日本では「性同一性障害」の概念が知れわたり、そういう「かわいそうな」「マイノリティ」がいるらしいから、医療を与えてあげよう、という風潮が強かったのかなと思います。

それゆえ、医療現場ではその人のアイデンティティや普段の生活実態(男女のどちらで埋没しているか)よりも、単なる身体のパーツで仕分けられてきたのかと。


「FtM/MtF」というと、たとえば「FtM」なら、ええ、あなたは当然治療をして「(to)Male」になるんでしょ?という、強制力を感じさせますよね。なんかもう、医療があること前提です。その当事者が何を望んでいるのか、あるいは何も望んでいないのか、という視点は抜け落ちています。でもそれが日本の従来の空気だったのだと残念ながら思います。

FtMの自伝を数冊めくってみたところでわかるのです、当事者間でさえ(だからこそ?)「治療をするのが当たり前」「出生時の肉体でいいなんて、そんなの“偽物”だ」というイジメがあったこと。


だからその医療前提の空気感から脱するには、まだまだ時間がかかるのでしょう。もちろん医療が必要な人には提供されるのが望ましいので、単純に、そうでない人まで巻き込むな、という話です。



3、「トランス男性/トランス女性」呼びは二元論が強すぎる

「FtM/MtF」といったとき、私は勝手に「包括する範囲が広い」ように感じていました。「Female to Male」の場合、FからMに続く旅路のなかで、今どこにいるかは問われていない感じ。

でも「トランス男性」というと、「男性」にずっと固定されている感じがして、これは却って範囲が狭いな、と。たとえ「男性」として想定されうる生活実態が伴っていなかったとしても、自身を「男性」として名指したり名指されたりするのは、負荷が高いことだと私などは思っていました(生活が苦しくてたまらない最中に、「幸せそうですね」と言われるような、ちぐはぐさ)。


これは私自身が、「人にはたいていジェンダー・アイデンティティがある」ということ、「自分のジェンダー・アイデンティティが(仮にあるとするならば)男性である」ということについて、全然ピンときていないからでしょう。だから、ふわっと「FtM」というカテゴリーに入れられている方が、まだ伸び伸びしている感覚があったようなのです。


こういうと、「男性」のジェンダー・アイデンティティがしっくりきていないならば、「ノンバイナリー」ということにしておけばいいではないか、と指摘されそうです。そうではないのですよ。生活実態として、淡々と「男性」をやっていくことには私は納得していますから。「男性」扱いされることによる不都合はあまり被っていないみたいなので、別に私は(トランスの)男性ということでいいです。ただ、あんまり「(トランス)男性」といった記号を、まるで私のアイデンティティであるかのように引き受けるのは、なんか違うなといったところです。


、当事者間の「読む能力」の格差がある

これは、じわじわ感じることです。


日常的に、非日本語圏の文章をとりこむ習慣があるか。

論文やニュース記事を読んでいるか。

人権意識が培われているか。


そうした「アップデートができる」トランス当事者とアライだけは、「トランス男性/トランス女性」の使用法になじんでいきます。

その一方で、文字や言葉に慣れていない人たちは、ちまたで見聞きする機会の多いワードを採用します。そこから変わっていく機会を持ちません。「FtM/MtF」と使い続けることもあれば、その言葉も知らないから「オナべ/オカマ、ニューハーフ」として自身を指し続けることもあります。非当事者が「そんな言葉はもはや侮蔑語ですよ」と、当事者に対して言っていたら滑稽ではありますが、でも時代にともなって変わっていく必要もありますし、どうなるのでしょうね。


私は『トランス男性による トランスジェンダー男性学』(大月書店)というタイトルで本を出しました。しかし、「トランス男性」という言葉を知らず、自身のことを「FtM」「オナベ」「虎男」「ミス・ダンディ」などとしか認識していない肝心の“当事者”には、届かないのでしょう。なるべく時勢に沿った「正しい」言葉づかいをしたくとも、それによって届いてほしい層には届かないのだとしたら、どうすべきなのでしょうか。それに、私の言葉づかいも、数年後には古くなっていることでしょう。


話を戻すと、「トランス男性/トランス女性」といった用語を使っていく人と、そうではない当事者の間には、情報格差や、読み書きの面での能力格差があると感じさせられます。

むしろ、性別のことで頭がいっぱいのトランス当事者は、他のことにリソースを割けないから、余裕のあるシスのトランスヘイターなんかが言語を封じるために却って積極的に、新しい用語法(「トランス男性/トランス女性」)でデマを飛ばしたりして、サイテーだな、と思うことがあります。



以上、なぜ日本ではまだ「FtM/MtF」呼びが続いていきそうなのか。

理由を考えてみました。

1、「FtM/MtF」が英語だから

2、日本では医療重視で考えられてきたから

3、「トランス男性/トランス女性」呼びは二元論が強すぎる

、当事者間の「読む能力」の格差がある

なお、3については、私個人の捉え方に寄っています。


今後メインで使われなくなったとしても、当事者間のスラング的に、「FtM/MtF」は用いられる気がしています。

閲覧数:543回1件のコメント

1 Comment


Guest
Sep 26, 2022

日本語でもPronounceがあったら便利(?)なのにな、と思います。

(ちょっと別問題かも?)

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