著者 前田健裕(まえだ たけひろ)
2009年 文芸社
手術の情報が少ない中、偏見の多い社会を生き抜いてきた経験者が残していってくれた治療の記録。誰からも苦しみを理解されないまま、黙って耐えて耐えて治療費を貯める日々。
私目線では、前田さんはバリバリFtM-GIDという印象でした。陰茎形成術を受けるFtM当事者には今でも参考になるかもしれません。タイでの陰茎形成術を予定していた前田さんは、手術経験者から手術2週間前にタイオペを否定され、「台湾の優秀な医師による、マイクロサージェリー(微小手術、前腕遊離皮弁法)という手術がありますよ」という情報を入手してしまう。命がけの手術なので、当然迷う。本当にこのままタイでいいのだろうか?
ただ、手術の話はこの本で紹介されている通りなので、
私は別の方面から印象的だったことを書きたいと思います。
いや、ハッキリ言おう。胸を取ったくらいじゃ、男たちは、女を男だとは認めないのだ。 (略) 再び始まった地獄の日々。胸を取れば男だと思っていた。百万円という大金を貯め、あんな痛い思いをして胸を取っても、そんなことは他人には全く関係がなかった。(p.67)
前田さんは高校中退で19歳の「女の僕」でも働ける場所ということで、資格を取って製造業(フォークリフト作業関係)で働き出します。
男の職場の、男の仕事。
......ごめんなさい、わりと最近の話なのですが、私の中にあった偏見に気づきました。
私はトランスジェンダー的にはとても恵まれていたのでしょうね。仕事の話です。本業は男女差が少ないところで、「男だから」「女だから」という区分が(ないとは言えませんが)目立たないところです。制服、給与、上司からの待遇も男女で分かれているというわけではないようです。
もちろん、消費者・客の立場からは違うのかもしれません。「相手が女性だから強気に出てやろう」などという女性差別的な人がいたら、女性スタッフは悩みを抱えていることになりますし。もはや私はそこで“男性特権”を享受しているに違いないから、女性の悩みは見えなくなっており、男女平等な現場だと感じられるだけなのかもしれません。それでも、『あなたが「僕」を知ったとき〜』に登場するFtM当事者のような職場とは全然状況が違います。
で、私自身が1ヶ月程度のごくごく短期間ですが、「男の職場の、男の仕事」に関わる機会がありました。 それでようやく前田さんが何を言っていたのか肌で理解した、と思えるのです。「男の職場の、男の仕事」で、「男ではない」とみなされることはどれほど不都合だろうか?“俺をとっとと男扱いしてくれ!!”という気分に当然なるでしょう。わざわざ女扱いとか、中途半端な男もどき扱いをされたら面倒くさくて堪りません。本の中で書かれている「男扱いされない苦痛」が、私にはちっともわかっていなかったのだ、と分かりました。
だって本業では「男扱い」が不要なくらい、性差は少なく感じられるし、そのうえでコミュニケーションを取るときには自動的に「男性社員」の扱いなので、とても楽だったのです。肉体業務もほとんどありません。体力や腕力の差によって「本物の男にはなれないんだ......」などと落ち込む理由もありませんでした。
でも、「男の職場の、男の仕事」には思いっきり性差があって(いや男としての同一性が求められるというべきか)、そこでは男として埋没できなければ終始浮いてしまいます。 正直にご報告しておくと、私の短期間の体験の中では、あくまでも私は「男性」として仕事を割り振られていたため、性同一性障害だ、トランスジェンダーだ、元女だ、現在も女だ、などと「男ではない」判定を受けたわけではありません。奇妙な“配慮”もされませんでした。私の性別の登録情報は「男性」でクリアできていました。男性にしてはサイズが小さいので、“用意されていた作業靴が大きくて少し困った”程度で済みました。
だからやっぱり前田さんのような「男扱いされない」苛立ちは、想像上でしか共感できません。「男の職場の、男の仕事」では、たまに女性スタッフがいた際に、その人が男性のように重い荷物を運ばずに済んでいるのを見ると、ああ楽でいいなあ、と純粋に思うほどです。接客を笑顔で押しつけられる女性側の業務の弊害も知っているのに。
FtMの手術には高いハードルがあります。
前田さんが、同じ病院にいたMtFについて言及するには
彼女は僕と違い、たった一度の手術で「女体」へと変わることができる。それを知った母は、羨ましいと僕に言った。自分の子供が二回の大手術をしてあと残り二回、計四回の手術をしなければ望む性になれないというのに、彼女はたった一回で望む性になれるのだから。 僕は思う。僕たちは男だから道が厳しくつくられているのだろうと。彼女たちは女の子なのだから。(p.116)
FtMが当事者意識をもって陰茎形成術を調べたときに、この世の終わりみたいな気分になるのは別段珍しくないでしょう。手術が存在するという希望より、こんな手術なのかと絶望する方が近いのではないでしょうか。
もちろん、MtFが“たった一回”の手術で「女体」になれる、とも楽観視できないから、身体治療を考えるときはもう全体的に、どん詰まりに感じられることもあるのですが。MtFのSRS動画を観た時、それが人体だと想像したくない気持ちになり、直視できませんでした。それに声オペ、豊胸、骨格を削るだの、MtF側(要するに女性)の手術の終わりのなさは指摘できます。
『あなたが「僕」を知ったとき~』の手術の描写には、こちらも「皮膚がつっぱる」ような痛みを体験します。そして手術の有無だけでは済まされない、職業によって生じる性差も気にかかったのでした。
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