レイウィン・コンネル『マスキュリニティーズ』
訳:伊藤公雄ほか
2022年 新曜社
第8章「男性性の歴史」p.255-p.278
絶対的な男性性?自然な男性性?固定的な男性性?
ーーーそんなものは、ありません!
男性性は、つねに存在しているわけではなく、文脈が必要だからです。ジェンダー関係の全体的な構造という文脈においてのみ、男性性は存在します。特定の時間と場所において存在し変化する、歴史的なものなのです。
●男性性はいつ頃から形成されたのか
コンネルの出身地であるオーストラリア。
先住民アボリジニが居住していたところへ、18世紀にヨーロッパ人が移住をし、やがて植民地となりました。男性性と暴力の関係が単に個人的なレベルにとどまるものではなく、グローバルな関係であることは、そうした帝国の拡大を手助けしたのがまさに「男性性」であり、大衆文化で「フロンティア的な男性」が称揚されることからも明らかです(p.256)。
「男性性」と呼ばれる社会的実践の布置連関の構成を考えるとき、とくに以下4つの展開に注目してください。
①文化の変容。
中世キリスト教の崩壊後、男性の人生を確立していた理想も崩壊した。修道院の禁欲的な性の否定に代わって、今度はマルティン・ルターを代表例とする、婚姻をともなった異性愛が名誉ある形態とされた。他方、個人主義や自己の概念がうまれた。
②帝国の形成。
ポルトガル、スペイン、オランダ、フランス、イギリスによる。スペインで「コンキスタドール(征服者)」と呼ばれるような、植民地の開拓地で軍隊に志願した男性は、近代的な意味での男らしさの文化的タイプの最初のグループだとコンネルは指摘する。帝国は、初めからジェンダー化された企てだった。
③商業資本主義の中心となる都市の発達。
とくにアントワープ、ロンドン、アムステルダムなど。企業家の文化と商業資本主義の労働の場は、ある特定の男性性の形態を制度化し、正当化した。
17、18世紀におけるジェンダーの医学的イデオロギーはどう変遷したか?
「単純にオスかあるいはメス(あるいは雌雄同体)の身体をもっている者として社会秩序の中で位置づけられた状況から、男性あるいは女性としての個人的なアイデンティティをもつべきであるという要求が、ヨーロッパの文化においては次第に強くなったのである。(p.260)」
※ここだけみると、「ジェンダーアイデンティティ(性自認、性同一性)」は17、18世紀ヨーロッパの発明品、といえそうです。それまでは個人的なアイデンティティという概念自体が希薄だったようですから。
④ヨーロッパ内戦。
16〜17世紀の宗教戦争は、17〜18世紀の王朝間の戦争へと変容した。専門の軍隊ができ、軍人の武勇は騎士道という階級的テーマを伴った。やがて世襲地主階級、すなわち紳士的上流階級の男性性が国家と密接に統合されていく。
●紳士的上流階級の分裂、そして変容
第二節は、「変容」。
19世紀から21世紀にかけての200年間は、紳士的上流階級が分裂していく過程として理解可能です(p.263)。
編成を変えた理由として、
①女性によるジェンダー秩序への挑戦【フェミニズム】
②産業資本主義でのジェンダー化された蓄積過程の論理
③帝国の権力関係
という3つの中心的理由を、コンネルは提案しています。
さて、興味深い指摘をいくつか抜き出してみます。
・「暴力は、今日では合理性と結びついてきたのである(p.264)。」
軍隊だって専門的知識の中枢的支配の下に再編成されていますものね。兵器・輸送分野での技術的進歩をおもえば、いかに組織全体で絶え間なく発展してきたのか想像がつきます。
・ただし、技術が進歩しすぎると、それを支えている社会そのものを破壊させる危険もあります。第一次世界大戦で大破壊がおこなわれたのち、10年後に資本主義を秩序立てたのは、皮肉にもファシズムでした。ジェンダーの視点から見れば、ファシズムはヘゲモニックな男性性の新しいイメージを作り出し、すこしだけ女性の平等に進みつつあった社会を差し止めるものでした。
・ヘゲモニックな男性性からみれば、同性愛は男らしさから排除され、逸脱されたグループとみなされます。ナチスにいた突撃隊リーダーであり同性愛者のレームは、盟友だったはずのヒトラーに殺害されたほどです。ところが。
「他方ではっきりした「異性愛」のイメージも存在しなかった。異性愛的セクシュアリティは、男らしさの必要物以外のものではなかったのだ。(p.269)」
・同性愛については、全然タブー視されていない地域もありました。しかし、そうした習慣的な同性愛も、スペインの植民地政策によって継続的に非難されました(p.272)。性的にアクティブだった女性たちが禁欲的な存在にさせられたのも、この頃の植民地政策の影響があります。
・移民の移住、暴力的な奴隷化や強制的な雇用(奴隷船も含む)といった人口移動は、人種的ヒエラルキーを生み出しました(p.270-271)。
・移住させられた労働力における男性性は、仲間や友情を重んじました。連帯の表現としてアルコールを飲み、もし口論やケンカをすることがあったとしても、その「男らしさ」の主張は競争ではなく平等のために発生するものでした(p.271)。
●現在のモメント
植民地化された世界に欧米のジェンダー秩序が輸出されることで、各地でも西洋発の家父長制(地域バージョン)が導入されました。そうした家父長制は、軍隊と、それよりさらに大規模な教育システムにも及んでいます(p.273)。
ところが。そうしてグローバルなジェンダー秩序が統合され可視化されたとはいえ、単純に欧米文化のクローンが各地でできあがった、というわけでもありませんでした。
フェミニストの研究によると、世界じゅうに散らばる多国籍企業で働く女性の工場労働者は、枝分かれした多様な立場にいるのだとわかります。コンネルはさらに、“各地に輸出された家父長制が均質ではなく多様な立場を生み出しているのではないか”ということは、男性にとってもおそらく真実だろう、と指摘します。
例で出てくるのは、日本です。明治体制の近代化プログラムは、役所仕事や事務職を獲得するための競争をもたらしました。やがて出現する「サラリーマン」は、階級に特化した男性性の形態を示す顕著な例です。
たしかに、敗戦後に日本の高度経済成長を引っ張ってきたのはサラリーマン(と、その妻でなりたつ家族)でしょう。西洋の個人主義の文化を取り入れたはずとはいえ、日本は集団をひとつの単位として捉えられやすいのかな、とは思います。男性がリゲインのCMどおり「24時間戦えますか」にこたえて働き続けられるように、女性は専業主婦になっていましたよね。ほかの生き方をするほうが大変です。
『とまどう男たち 生き方編』には団塊世代(1947〜1949生まれ)の橋本満さんによる「僻目のベビーブーマー論」というエッセーが掲載されているのですが、見事なまでに「その世代」という大集団としてだけ社会に扱われていた様子がみえてきます。団塊の世代とはいかないまでも、こう、同質の集団として規定する節が日本は強いよなぁと。日本のサラリーマンのような男性性は、文化政治的には特殊なのだそうです(p.275)。
コンネルはさまざまな例を挙げたうえで、「ジェンダーの配置が変化している」という認識は、豊かな男性のあいだで広く存在している、と述べます。もっと驚くべきことは、「この変化がコントロールできない」、ジェンダー関係に混乱が生じているのだ、ということまで理解されていることです。
家父長制の正統化を喪失する大きな挑戦といえば、予想がつくとおり、【フェミニズム】の存在です。もちろん国によって挑戦の仕方は多様ですし、「西洋の」フェミニズムが「第三世界」のフェミニズムとのあいだで複雑な緊張関係にあることもありますが。
異性愛男性に対するレズビアンとゲイの運動もフェミニズム同様に根本的な挑戦です。しかし多くの異性愛男性は「しょせんマイノリティ問題だろう」と思っているので、自分たちには影響を与えないと見なして周辺化できてしまっている、と(p.277)。なんたる悔しさ。
最後に。
豊かな国の「男性たち」というカテゴリーが、決して単一のグループではないこともコンネルは忘れません。つぎの9章は、公的領域を支配してきた男性のポリティクスに移ります。
Commentaires