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小説『スモールワールズ』から男性身体を見渡す。「トランスジェンダーのFTMって知ってる?」

珍しくペニスの話もします。


後味の悪い短編6つ『スモールワールズ』(一穂ミチ)の中に、FtMが登場する作品があったよ、と聞いてその場で読んだ。


後味の悪い話をまとめるのは大変なので、ざっと最初の状況だけ。


中年の男性教師は、職場である学校生活においてもやる気なし。家は整理整頓せず、とりあえずで日々暮らしている。


ある日帰宅すると、見知らぬ男が立っていた。実はこの男、長らく別居していた娘のカスミ(佳澄)その人であり、ヨシズミという男になって現れたのだった。トランス界隈では珍しくなさそうだけど小説的にはきっとおいしい展開。

男性教師は昨夜酔っぱらっていて記憶がないのだが、行き場をなくした「娘」と通話し、うちに来てもいいぜ、と返していたらしい。すっかり男の姿のヨシズミは父親である教師に聞く。「トランスジェンダーのFTMって知ってる?」


別段ほのぼのする話ではない(と思う)。最近では若者が、男性であろうと性別がどうあろうと、化粧をしたり眉を整えたりする機会も珍しくない。料理だって生活のためにするだろう。ヨシズミが身だしなみを整えるのは、別に「元女子」「娘」だからではない。ヨシズミがほったらかしの父親の外見を整えてあげるシーンは良いですね。

むしろ私は、父親がFtMの息子に髭剃りのやり方を教えてあげるCMに羨ましさを覚えたものだが。(あくまで想像上では羨ましいという意味。実際に実の父親にそうされたいという願望はない)


ヨシズミの言動は映画『フタリノセカイ』の真也に似ている。おい、女に溺れる前に、自分の手術代をちゃんと取っておけ!と言いたい。ヨシズミは陰茎形成までやりたいらしい。女に渡す500万円があったら、とっくにペニスまで出来てるじゃないか。こういう思考回路はよく分からぬ。映画や小説だからそうなるのだろうか、現実もそうなのか。GID中核群っぽい手術を必要とする、「心は男」なトランス当事者が、なぜ「自分の身体」を納得いく段階まで完成させる前に、色恋沙汰で浪費する描写があるのだろう。


ヨシズミと父親は温泉旅行へ行く。といっても、ヨシズミは部屋風呂しか入れない。父親は、自分の使い物にならなくなったようなペニスを見て、「お前にあげられたらなぁ」とボヤく。ヨシズミは「そんなオッサンのなんていらねえよ」と返すが、実際は嬉しかったのだ。(台詞はうろ覚え)


私は今ではペニス保持への切望を捨てられた(と思う)のだが、そうじゃないFtMにとってはテンプレだけどやっぱり嬉しいよな、となんとも言えない気持ちになった。身体治療に囚われていた頃は、胸オペよりも子宮卵巣摘出よりも、ペニス形成の手術動画を薄目を開けながら熱心に見た日もあった。どこかでキリをつけなければならない。トランスジェンダーは、シスジェンダーではない。トランスフォビア同様の想いに潜む嫌悪感を、ニュートラルに、ただ経験や身体の差異としてだけ受け止めるには、どれだけの諦念が必要だっただろう。なぜろくでもない男にはペニスがあって、私にはないのか。


今感じるのは、トランス男性の身体は、大体シス男性のそれに似てくるということだ。だから手術が必須という気合が削がれていく。機能のうえで、おおよそ問題がなくなる。精子は出ないが、何かしたらの類似したアクションは生じる。もし相手がいる場合で、なおかつその相手がトランス男性を男性とみなさない屈辱的な時間がある場合はまた別の問題が発生してしまうわけだが、運よくそれを取り除くことができれば、どうにかなるような気がする。むしろ、なぜ私のこの美しい身体を安売りしなければならないのだ、舐めるなよ、と突っぱねることだってできる。


身体が女性のものから男性のものとして見なされるように変わってよく分かるのは、女性(的とされる)身体への無意味な崇拝と、男性(的とされる)身体への軽視だ。私視点でいえば、女性身体のときほどどうでもよかった。あんな身体。一方的に「可愛いもの」「可哀想なもの」として取り扱われる。薄気味悪い周囲からの眼差しがある。男性身体化すると、私にとっては大いなる喜びだが、世間は「馬鹿にしていいもの」「汚いもの」と位置付ける。滑稽でならない。

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