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『トランスジェンダー問題』第4章「セックスワーク」書評

更新日:2022年12月12日

このブログでは、『トランスジェンダー問題』(ショーン・フェイ/高井ゆと里訳、明石書店)の、第4章(p.197-p.228)の書評を試みます。


すでに簡単な書評をじんぶん堂で書かせていただいているのですが、今回それとは別にブログを書こうと思ったのは、個人的にとりわけ興味深かったのが第5章「国家」と、第4章「セックスワーク」だったからです。刺激的で面白かったのは第3章「階級闘争」とはいえ、より深く考えたいのは上記の2章だったのです。

『トランスジェンダー問題』はずいぶん広いテーマでトランスを語っている本ですが、とはいえ他の章で語られている内容はなんとなく予想しやすい内容だったといえます。しかし、あえて中盤に挟んだのであろう5章と4章については、原文を読んでも難しく感じましたし、日本語も何周か読んでようやく腑に落ちてきたところです(この本全体は10周は読んだはず)。


なぜか?

一つ目は、単純に私自身が非当事者、つまりセックスワーカーやその関係者、あるいは刑務所に詳しい人間ではなかったため、初めて知る内容があったことに由来します。二つ目は、原著者のフェイさんがラディカルで、私視点ではずいぶん左翼的思想の持ち主に見えたからです。そのため、新たな驚きを持って読むことになりました。


しかしながら、刊行前から訳者のゆと里さんに草稿を繰り返し読ませてもらったこともあり、私もだんだん思考がラディカルにフェイ化されてきたようです(良い変化だと思う)。このままでは、フレッシュなまま書評が書けなくなってしまうので、取り急ぎこの文章を書くことにしました。



第4章「セックスワーク」の概要

これ、原題は“Sex Sells”なんですよね。ドイツ語版ではどうなっているのかと気になったら、“Sex Sells”のまま英語と変わらない表記でした……。ちょっとずるい。日本語では本章の趣旨に合わせて「セックスワーク」となっています。


構成としては、第3章で「階級闘争」が語られたすぐ後に、トランスにとっての「セックスワーク」が来ています。順番がとても大事です。最も脆弱な人々が複層的な抑圧を被るとき、その先で従事することの多い産業の一つに性産業があるからです。もちろん性産業に限らず、シスジェンダーか否か、ヘテロか否かで、職業選択にはばらつきがありますが、第3章で言及されたようなトランスのアクティヴィズムとの(関係が切り離されがちという点で)関係性をもつ産業という意味で、あえてここで語り直す必要があったのでしょう。


では、トランスのセックスワーカーが生活していくには、どうすべきでしょうか。この第4章では、最終的に「セックスワークの非犯罪化」が提唱されています。これは現にいるセックスワーカーの安全に焦点を当てた、国際的にも評価の高い政策です。

セックスワークに関しては、他に「犯罪化」と「合法化」という扱いが取られることもありますが、その二つではなぜダメかも説明されています。このあたりはフェイさん自身の主張というよりも、トランスのセックスワーカーの体験から呼び起こされることを書き記し、さらには他国(2003年に非犯罪化したニュージーランド)でセックスワーカーたちから評価の高かった事例を挙げて、「非犯罪化」に持っていっているだけなので、別段珍しい話をしているわけではないでしょう。ただ、私としては「犯罪化」「非犯罪化」「合法化」それぞれの考え方と、実施された結果がこうして並べられていることは理解の助けになりました。



非犯罪化へ向かう理由

納得する性別移行を経るまでは、正直私も「セックスワーク全てなくなってほしい」と考えていたことがありました。シスヘテロ男性の健常者向きに、あまりにも(メディア表象も含め)セックスにまつわる市場が出来すぎていて、そうではない者への実質的な差別と排除につながっているように実感させられていたからです。何でもかんでもシスヘテロ男性に向けて出来ているようで、権力はそこに集中し、そうでない身体や経験は無視されていました。そのことは私の奥底に、煮え切ることのないルサンチマンを生じさせるのでした。男性中心社会への憎悪、そして「男性」に向かっていく自分がしかしながらそこに含まれることは決してないのだろうという自己嫌悪でもありました。(今は「一男性」的な立場から、これとは違った意見を持っています。)


ただ、フェイさんに説得されて気づくのは、そうしてセックスワークをなくそう(セックスワークがすでにある以上、これは「犯罪化」の形を取ることになるでしょう)としても、困るのは顧客(≒シスヘテロ男性の健常者)ではなくて、その多くが女性やトランスや移民などの属性をもつ、現に働いている人たちの方だからです。犯罪化という措置を取っても、そうした労働者を追い詰めるだけです。むしろ顧客はつけあがり、ますます見えない場所でセックスワーカーへの差別が行われるかもしれません。警察権力というのが顧客側であり、セックスワーカーを危険に貶める男性と同じかもしれないという視点も大事でしょう。そういった理由から、犯罪化は推奨されません。


だからといって「セックスワークの合法化」に向かうのもダメです。それは結局、権力を持つ者が管理者となり、ワーカーたちを取り締まるからです。移民の中にはセックスワーカーになる人も高い割合でいますが、こうした国家からの取り締まりは、移民を制限する政策に連なります。つまり「犯罪化」も「合法化」も、社会的マイノリティがより厳しい状況に追い込まれるだけなのです。

この点、セックスワークにおける「合法化」の果たす役割は、トランスジェンダーの「特例法」と似ているな、と私は感じました。日本では2004年施行の「特例法」によって、戸籍上の性別変更が可能になった、とされています。公的に認められることで、恩恵を被った人ももちろんいるでしょう。しかし、ちょっと待ってください。公的な認可が定められていない方が、こそっと裏道を通れたという事実もあるのです。それが、明確なゲートキーピングを設けられたことで、高いハードルを超えなければ戸籍変更できないと決まってしまった、と言い換えることもできます。ですから、権力者にゲートキーピング(見張り・統制)させる、自己決定権を自分で持つことができない、という状況は素直に喜べるものではありません。



特権を行使すること

フェイさんは本文中で何度か自身の特権性に言及しますが、それを行使することを決して避けられないのが、この第4章でした。特にトランス女性やトランスフェミニンな人々は、映像の中でとっくに可視化されてきてはいたのです。セックスワーカーとして。

ドキュメンタリー『トランスジェンダーとハリウッド』で語られるように、「トランス女性はセックスワーカーの役ばかりで、全体を見られることがない」ため、偏ったイメージを付与されることになりました。

他方、「トランスの人々は人口の1%に満たないが、しかしセックスワーカーの4%」を占めています(p.200)。もっと細かくいえば、バイナリーなトランス女性は人口の0.1や0.2%程度でしょう。そんなに少数であるにも関わらず、可視化はされてきました。随分と偏った職業としてだけは。PornHubの検索結果における、トランスジェンダーポルノの人気ぶりは目を見開くほどです。


しかしながら、トランスのポリティクスではトランスのセックスワーカーが登場する機会はありません。ある意味では一番可視化されていながらも、政治的には置き去りにされます。

(ちなみに最近のトランスマーチ2022では、新宿二丁目やドラァグクイーンの方とも連携を取ろうと努めていらっしゃったようで、それは大事なことだなと思いました。もちろん個人的にも二丁目的な文化が「政治的に良い」と言えるわけではないのですが、とはいえずっとセクシュアルマイノリティの生存のために根を張ってきた文化がそこにあり、無視してはならないだろうことは確かだからです。日常が過剰なシスヘテロ文化に抑圧される中で、そこだけが唯一の居場所になることはありました。)


ふだん顧みられないトランスのセックスワーカーのことが、この本の中で1章分を割いて書かれたことには大きな意義があります。


しかし、非常にありそうなことだが、トランスたちが「尊敬される」雇用市場でより多くの法的権利を獲得していけば、中産階級のトランスたちは、トランスのセックスワーカーを禁止する方向に誘導されていくだろう。(p.226)

トランス全体にネガティブなイメージを持たれると困るから、トランスのセックスワーカーは運動に組み込みたくない、と中産階級のトランスたちが判断するだろうことをあらかじめ釘打つようなこの文章。日本語訳されて良かった。


あと、この本が「トランスジェンダーの」本である上で、ほんの少しだけポジティブな記述も見受けられましたね。データばかり見ると、見るまでもなく悲惨な現状ですから、たったの5行でもトランスコミュニティのポジティブな可能性が記述されているのは良いなと。


しかしトランスフォビックな社会において、セックスワークはお金とは別に、重要ないくつかの利点をもたらすことがある。トランスの人たちは、しばしば他のトランスたちと共に働く機会を支援の源として捉えている。セックスワークは、トランスたちにとっての帰属先と家族の感覚を提供するコミュニティを生み出すことがある。人とつながる機会をもたらし、しばしば自分よりも年上の他のトランスたちから、性別移行や健康のこと、また社会適応について助言を得る機会となるのである。(p.212)

セックスワークに限らず水商売まで含めると、これはトランス女性からもトランス男性からも聞いたことはあります。俗に「ニューハーフ」や「オナベ」として働く人たちです。どこで安くホルモン注射が打てるか、診断書なくても大丈夫なクリニックはどこか、どんな順序で手術をするか、不安なく髪を整えてくれる場所はどこか、「誰からも愛されない」というメッセージが溢れる中で恋愛事情はどうか。そのような性別移行やトランスに関わる詳細は、シス中心社会ではまるっきり無いものにされている切実な悩みですから、経験者から情報を得られるならとても助かります。おまけに、トランスであるために家を追い出されてきた人にとっては、そこだけが「家庭」に代わる帰属先になるかもしれません。

もちろん、足の引っ張り合いになったり、何にもトランスのアドバイスをもらえなかった、という現実もあるみたいですが。



セックスワークがワークだからこそ

ここからは、『トランスジェンダー問題』の中では書かれていなかったことにも触れます。セックスワークがワークとして、スティグマをなくしていき、労働者としての権利を獲得することが大事だということは、本書を読んでわかることでした。


ただし、ワークだからこそ生じる問題も、その先あるはずです。フェイさんは「結論」において「資本主義の下では、トランスの解放はあり得ない」(p.367)とも言っています。というのも、資本主義こそが男女別の性役割を生み出し維持しているからであり、さらに一定の失業状態を必要とする資本主義は社会的マイノリティを都合よく失業状態に据え置いてしまうからです。だから、資本主義があるままでは、トランスが解放されることはないと述べています。


そこで、「セックスワークイズワーク」という4章で望まれる主張も、あくまで(トランスの)セックスワーカーへの現にある差別をなくすために提唱されているだけであって、永続すべきとは考えていないのかな、と思います。セックスワークがこの資本主義下で仕事としてあり続けたら、結局のところトランスが解放されることはない、というわけですものね。


あと、これは書かれていませんが、「セックスワークイズワーク」という事実が、トランスのセックスワーカーに対して、シスのセックスワーカーとは異なる形でのしかかることもあるでしょう。具体的には、「手術をしたい」から働いているトランス女性がいたとしても、顧客は「手術しない方がいい」と望んでいたり、仕事内容としても手術しないで勃起したり逆アナルできたりした方が、「仕事の上で能力がある」ことになり得ることが挙げられます。あるいは、トランス男性が「女性」として誤った性別で扱われることで仕事につなげている、ということもあり得ます。仕事のために、です。

たとえセックスワーカーの労働者としての権利が認められたとしても、シスヘテロ男性に向けて構築された社会が変わらないままでは、トランスのセックスワーカーにとって安全な居場所とはいえないのでしょう。だからトランスが真に自由になるには、第4章で述べられていること以上の展望が必要になるのだろうと予想します。


第4章は、非常に読み応えのある章でした。おしまい。

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