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『躍動するゲイ・ムーブメント』から掴み取ること


石田仁 編著

斉藤巧弥、鹿野由行、三橋順子 著


ゲイの活動に関わってきた3人の口述がベースで、それぞれに解説も入っている全6章。 たったの3人に聞き取りしただけでゲイ・ムーブメントが把握できるのだろうか?と疑問を抱くかもしれない。が、見事に払拭してくれた。もちろん、語り手の記憶違いだったり、同じ活動をしていても意見の相違があったりはするだろうから、この本一冊で「当時の活動がわかりました」とはいえないのだが。

シスゲイのこれまでの活動から学び取るとともに、読者の私自身は、トランスジェンダーだったらどう活かせるだろうか?と読んでいて考えた。


以下、参考になった、印象に残った内容の一部を列挙していく。

なお、・マークは本人の口述パート、※マークは研究者の章を参照してまとめた。


【第1章、2章 南定四郎さん】


ゲイ対象の雑誌『アドニスボーイ』『アドン』『MLMW』を創刊。

IGA(国際ゲイ協会)日本サポートグループ設立。

エイズ電話相談。東京国際レズビアン・ゲイ・フィルム&ビデオ・フェスティバル(現レインボー・リール東京)を立ち上げる。ゲイの劇団「フライングステージ」をつくった。など


・雑誌『アドニスボーイ』をほぼ1人で、5000部刷って、お店で全部売り切っていた。

・最初の商業的なゲイ雑誌『薔薇族』の表紙はイラストだったが、『アドン』の表紙は実在の男性だった。理由はそういうポリシーだったわけではなく、単にイラストを描く人がいなかったとのこと。

※『アドニスボーイ』はのちに“アクティヴィズム”とみなされるが、元は『薔薇族』よりも商業的だった(ゲイ・ビジネスの嚆矢?)。広告主となるバーを大々的に取り上げていた。


・60年安保には死ぬつもりで関わった。労働者というより同性愛者として、世の中が変わると期待していた。

・新宿2丁目は非政治的な空間。諦めた後なので、もっぱらセックスの場所として通った。

・同性愛者に何も還元しない文化人や執筆家には痛烈。


・海外で開かれるIGA(国際ゲイ協会)の総会の状況を一人でメモして、日本に伝えていた。HIV感染・エイズ騒動のど真ん中で、活動が活発だった時期。

・ヘルシンキで知った電話相談にならい、ゲイホットラインをつくった。


・ビル・シュアーの話を聞き、具体的な行動(シェアハウスでの編み物、晩ご飯を当番でつくる等)を起こそうと変わった。ゲイ解放運動をセックスの自由から、生活も含めたサービスの提供として考え直した。

・宅配弁当「オープンハンド」を始めた。サンフランシスコの例(ホテルの厨房も、運ぶのもみんなゲイ)を素晴らしいと思ったため。

・第3回東京レズビアン&ゲイパレード終了後の集会で、「パレード宣言」(案)を拍手でもって採決しようとし、「南独裁のパレード」だと異議があった。集会は混乱。運動から手を引く。


・年金者組合(労働組合の一種)の機関紙をつくることに。LGBTの運動や組織は素人ばかりだと思い、本格的な本丸で勉強したいと考えた。ただし年金者組合は共産党の支持団体であり、『アドン』というエロ雑誌を編集・出版している人を党員に迎えられない、と(当時の共産党の性的マイノリティに対する意識から)蹴られた。

・沖縄に住まう。沖縄市の社協の連絡により、LGBT向けの電話相談をすることになった。

・LGBTQの素人芸人が集まる芸能大会「LGBTQフォーラム」を始めた。一方でギャラをあてにしているアライがいて、他方で当事者がノーギャラなのは本末転倒、とアライに意見した。


・パレードははっきり言えばもう死者。見かけが盛大になったが、本質は失われたままなので、違うかたちで再生しないとダメ。年に一度大きなプロパガンダをやれば済む話ではないので。

・地域のコミュニティづくりに力を入れたい。今は農作業の援助をしている。LGBTが手足になり、そこに生産物を乗っけるようにする。


【第3章、4章 マーガレット(小倉東)さん】


ゲイ雑誌『バディ』を創刊。

ドラァグクイーンとしても活躍。

ブックカフェ「オカマルト」を開業。


・『薔薇族』に対抗するメディアとして、『バディ』を創刊。違法コピーしたホモビデオを売っているお店の広告を『薔薇族』が出していたため、ビデオメーカーの人たちにも声をかけて『バディ』に出資するよう促した。

・他の雑誌で書いているライターを、原稿料をしっかり支払うことで(金に物言わせて)取り込んだ。

・時代の空気を読みながら、わりと自由にやっていた。パレードの紹介など政治的に「正しい」運動の記事もあり、もう一方でフィスト(握り拳プレイ)や女装やラッシュ(薬物)などクィアな欲望についても書いていた。

・『バディ』(ゲイ雑誌)に載ることがステータスになる、という空気感。お金を出せば載れちゃう、というイメージはつけなかった。

・『バディ』はゲイの作家さんに稿画料を支払うよう努めた。『薔薇族』はノンケがゲイからお金を掠めとっている、という認識。『薔薇族』を抜くことだけを考えた。


・同じテラ出版からレズビアン雑誌『アニース』が出たが、流通経路は限られていた。ゲイ雑誌なら半数をポルノショップに直接卸せるが、女性向けのショップはないため。

・ネットが普及した頃、自分たちもやったが収益性が全くなく、売り上げは下がっていった。

・DVDをつけたら売り上げは少し上がった。

・マッチングシステムみたいな通信欄をネットに移行したいとは考えていた。通信欄を通した出会いを円滑にする、「SM」「アナル求む」「HIVポジティブ」などのアイコンがあった。

・ベテラン読者は買ってくれるので、若い世代の新規狙いをしていた。

・雑誌はパラっと見たら全体像が見渡せる。情報を調べるとき、一個一個調べるのは手間。


・LGBTブームにおけるセミナーものはノンケに搾取されすぎと思う。

・アメリカのゲイリブのように社会に正面から向かっていく活動は日本では厳しいと思い、商業主義とカッコイイ・楽しいという戦略になっていく。

・“[社会にアピールが]できたとしても何のための活動よ。ゲイのための活動でしょ。ゲイにアピールできなくて何やってんの? って話。”(p.255)

・「ゲイリブとエイズは記事にしないで。売れなくなるから」と話していた平井孝をパレードに歩かせること目的にした。政治的なことを言っても売上げが下がらないという実績を作ってからは、平井さんに何も言われなくなった。


・札幌のパレードの際、宿を借り上げて、読者に「パレードと北海道旅行を堪能しよう」と呼びかけた。

・これまでの記事で「ドラァグクイーンはカッコイイよね」と言い過ぎたため、自分たちをカッコイイ・偉いと勘違いし、ニューハーフを下に見るクイーンが出てきてしまったようで、ノンケから見ればみんな変わりない化け物なんだ、と伝えきれていなかった。

・東京レズビアン&ゲイパレードが3回目になったとき、主催者側で次の年の代表が決まっていること前提で、民主的なパレードの運営の仕方とは思えなかった。

※雑誌『ファビュラス』創刊。当時はまだリアリティを伴っていなかった、保険や住居の賃貸契約を含むゲイの「生活」の問題を取り上げた。女性のモデルも起用されており、(ゲイの)男性と(男性好きな者同士として)会話するシーンも仕掛けられている。


【第5章、6章 ケンタさん】


札幌ミーティングに関わる。

札幌初のプライドパレード「レズ・ビ・ゲイプライドマーチ札幌」の開催に携わる。

ゲイナイトを開催する「Qwe're」を結成。ゲイバー「Cafe&BAR BREAK」、「HEARTY@CAFE」開店。


・90年代のゲイ・ブームはノンケが作り出したもの。ゲイコミュニティとは乖離していた。

・札幌ミーティングのKMD(ケツマンコダンサーズ)ナイトの宣伝ポスターをゲイバーに貼ってもらった。今のように郵送すれば貼ってくれるほど緩くはないので、バーで一杯飲んでから貼ってもらう。

・ハッテン場を運営したものの、設備にある程度投資しないとダメだと反省した。


・コミュニティには層がある。パレードのような上澄みが盛り上がっていても、ゲイナイトに来るような地殻・地盤のほうが盛り上がっていなければトータルで盛り上がっているとはいえない。

・視覚的にかっこいいドラァグクイーンやGOGO BOYに「カミングアウトしようぜ」と言わせた方が、当事者が乗り気になれる。ドラァグには、半歩先に進んで引っ張っていく、政治的な役割を担わせた。ドラァグクイーンという存在自体がリベレーション。

・ゲイDJの代名詞といわれるNARUSEさんがゲイバーに行ってパレードでフロートを作る・出るという話をしたことで、ゲイバーのママたちも(これまで距離のあった、政治的な)フロートに興味を持った。

・元はといえばゲイバーも(ナイト)ビジネスであり、LGBTがクローズドであるほど、夜だけセクシュアリティを解放できるゲイバーは儲かるものだった。しかしパレードに来た人がゲイバーでお金を落とすようになったので、ゲイバー側の態度に変化が生まれた。


・パレードがコラボして大学で意識高い系の(対ノンケの)フォーラムをやっても、ゲイバーで遊んでいるような子たちは大学なんかに行かない。コミュニティを盛り上げる仕掛けを作らなければならない。

・2003年のパレードに札幌市長を呼んだ。メディア対策として目立つようにドラァグクイーンを引き連れて札幌市長に行った。どうすれば炎上するか考えていたので、狙い通りだった。ただし炎上を挽回できるパワーがないと炎上商法は使えない。

・“リベレーションってなんかちょっとオナニーっぽいなって思ってたの。一部の意識高い活動家が声高らかに、がなって何かいろいろやっているけど、そこに肝心の当事者コミュニティがついてきているかといったら、ついてきてなくて、置き去りのままで、何かそれってしっくりこないなって。”(p.374)

・男性優位社会への気づきを得てから、女性ゆえ給料の少ないレズビアンのことも考えだした。ゲイナイトで稼いだから、レズビアンナイトもやれるようになった。ゲイにはGOGO BOYがいたが、レズビアンが喜ぶような女性のパフォーマーはいなかった。結果、「ハニーガール」という女性パフォーマーが生まれた。


ーーーー


以上、三者三様の口述でした。

活動のやり方として面白いと思った箇所を主に抜き出したが、個人のライフストーリーについては本書や既刊本を読むことをオススメしたい。


面白くって、ページを捲る手が止まらなくなった。ゲイ関連のことを初めて知る驚き、そしてビジネスやコミュニティ形成で参考になることがたくさんあった。とくに、3人とも「いかにしてゲイに利益を還元するか」「ゲイを置き去りにしないで、活動に巻き込むか」ということを熱心に考えていた。


【LGBT内部の格差】


読んでいけばわかるように、LGBTといっても内部に格差がある。

(シスジェンダーの)ゲイは、比較的財力に余裕があるのがわかる。ゲイ向けの活動をしようとすると、どこからともなくゲイのオーナーが登場して援助してくれたりもする。宿を借り上げて騒ごう、なんて発想もお金がなければ叶わない。

辛い現実である。レズビアンはそもそも夜一人で出歩けるお金もなく、バーやクラブもなく、雑誌の流通経路も確保しづらい。同性愛者としての苦悩より先に、女性差別に対処しなければならない、とはよく聞くものだ。


南さんのように「ゲイだとバレるのが不安で職を転々とした」人は確かにいる。ヘテロ中心社会では、シスジェンダーの性的マイノリティにも不利益が降りかかることはある。男性であるゲイだってそう。

それでも、トランスジェンダーの人々を思い起こせば、そちらはさらに酷いものだ。トランスの金持ちがどこからともなく現れてきて、トランスジェンダーのコミュニティ全体に還元するために投資してくれる、という世界を私はどうにも想像できないでいる。ゲイにはできたけれど、トランスにはできないことがまだまだある。

【ゲイ雑誌の仕掛けと、トランスの展望】


ゲイ雑誌についての度重なる戦略・仕掛けの言及はとても参考になった。

たしかに、雑誌をひらけば様々なゲイ情報が掲載されているというのは、メディアとして優れているのだろう。それが雑誌の利点だ。


似た役割を果たすものとして、FtM(トランス男性)には、LapH(ラフ)という雑誌がある。当初はメンズ雑誌を目指していたようで、内容的には個人の写真やインタビューの割合が大きい。


雑誌で可能なことを考えるとき、医療制度やホルモン注射のできる病院マップ、自分たちに関わる法律や保険、パレードや各地のバーのことなど多岐に渡る情報が載せられると包括的になるのだとは思う。最近増えているトランス関連の論文とか、研究者向けの内容もいっぺんに把握できたらなお「雑誌」の良さを活かせるのかもしれない。


たとえば犬や猫の雑誌はよくできている、と思う。「ワンコと泊まれる宿」「愛犬が誰かを傷つけてしまった時の保険は?」「ドッグフードの広告」「犬が食べても大丈夫なもの、ダメなもの」「読者投稿による犬のイラスト、写真」「里親募集」などなど、必要そうな情報が雑誌一冊にまとまっているという!こういうのが、トランス界隈にもあったら最強じゃないか。


といっても私は、MtF(トランス女性)関連の情報源は詳しくないし、「トランスジェンダー」のなかに、(トランスの)男性も女性もノンバイナリーも丸ごと含めるのがいいのかは正直よくわからない。 おそらく病理概念としての「性同一性障害」が広まって特例法ができて以来、トランス的な人たちが一つにまとまるきっかけとなったのではないか。逆にいうと、それまではゲイカルチャーと隣接する領域にゲイボーイ、女装、オカマ、ニューハーフなど現在のトランス女性的な人たちが関わることがあったはずで、「同じトランスジェンダーだから」との理由で一律にトランス男性的な人々を語ることは不可能だろう。


財力の問題や、当事者が予期せぬカミングアウトやアウティングに繋がるのを恐れて購入できない、イベントに行けない、という課題もある。パレードは開かれている反面、閉じてもいる。地元で開催するからこそバレたくなくて参加を控える人もいる。

多分これは、どうしようもない。本の話でいえば、電子書籍で管理できるようになってアクセスしやすさは増えただろうけれど。



【商業主義は当事者のために】


この一点が『躍動するゲイ・ムーブメント』の語りで、たびたび登場していたように思われる。お金は必要、なければ動けない。 でも本書の3人は、「ゲイのために」をよく考えて行動していた。ノンケに都合よく使われてたまるか、という気概。彼らから学びとるものは多い。



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