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『とまどう男たち 生き方編』に、とまどいながらも。

いや、扱う内容が全部暗くてびっくりです。男性、どうした。



【タイトル】 

とまどう男たち 生き方編』(伊藤公雄 山中浩司編、大阪大学出版、2016)

ちなみに、「死に方編」という本も存在します。


【帯文】 

闘う男たちが闘えなくなった社会に、男子として生まれた不幸とは。「死に方編」とともに気付く、諦めの男性学


【内容】 

はじめに 受難時代の男性の生と死(伊藤公雄)

第1章 「男」という病-男性の生物学(石蔵文信)

第2章 「男子」として生まれた「不幸」(山中浩司)

第3章 寄る辺のない若年男子-若年層における孤立問題の男女比較から(平野孝典)

第4章 「男」は病気か?-メタボ検診と男性(古川岳志・山中浩司)

第5章 男はなぜ自殺するか?-女性の労働参加と男性の自殺(阪本俊生)

第6章 単身男性の街(石川翠)


一応、目次の第一印象よりは、暗くないのかな?という読後の感想ですが。



はじめに 受難時代の男性の生と死(伊藤公雄)


日本における「男性学・男性性研究」を牽引してきた伊藤公雄さんの導入。のっけから興味深いデータ紹介があります。


「男女共同参画白書」2014年版によると、

「所帯の年収でみると、女性で幸福度が最も高いのは600万円以上の所帯収入のある人だ。逆に、男性は、最もハッピーなのは、所帯年収300万円から450万円未満の層である。高い所帯年収のある男性はグンと下がり、年収150万円未満の男性たちと幸福度にはあまり差がない」(p.2)


面白いですね。このデータをどう読むか。

伊藤さんは、時代を経て所得が減っていくことで「なにか奪われている」という感覚、名づけて「剥奪感の男性化」を指摘しています。


女性よりは収入が高いとしても、比較対象を「以前の男性」や、「自らの父親」にしてしまえば、同じように頑張ったって収入は「下がった」、手に入るべきだったものが「奪われている」わけで、いいようのない感覚に襲われるのでしょう。


ちなみに私は、地域格差を指摘したいと思います。「所帯年収300万円から450万円未満」で「ハッピー」な層は、地域社会で充足している男性で、一方の「高い所帯年収のある」しかし「アンハッピー」な男性というのは、都会で競争に明け暮れている男性のことなのかもしれません。



第1章 「男」という病-男性の生物学(石蔵文信)


執筆者が医者ということですが、「生物学的に〜」と男性/女性を論じられるのは、トランスパーソンにとって居心地の悪いものです。だいぶ執筆者の偏見(とりわけ女性蔑視)も入っているように感じられました。


ためになる箇所もありました。


たとえば、p.37。女性は結婚や出産という節目に人生を考えさせられる。たとえ結婚や出産をしなかったとしなくても、「そうすべきかどうか」と立ち止まって考えるキッカケが、男性よりは女性の方がもちやすいことは指摘できるでしょう。この辺、田中俊之さんも言っていましたね。

一方で男性は、人生を軌道修正するタイミングがわかっていない、とのこと。

現在のサラリーマン(中高年を想定)は、「社縁」から「地縁」にうまく切り替えることができません(p.43)。農林水産業の従事者は、定年関係なく地元で働き続けるので、その心配は不要だといいます。


私視点では、「社縁」と「地縁」の区別がない働き方はあまりしたくない気もするので、結局のところ、4領域(職業領域、地域領域、家庭領域、個人領域)をある程度偏りなく充実させることができれば一番望ましいのでしょう。





「男女共同参画白書」2013年のコラムでは、「イクメン」「イクボス」だけでなく、「育児等をきっかけに地域に関わる「イキメン」 」というワードも登場しています。

参考:「イキメンって?/軽井沢ブログ カントリージェントルマンへの道」 https://cgkaruizawa.com/ikimen-merit/


石蔵さんは、提案します。定年退職後の男性は、昼食作りをしてみてはどうか、と(p.45)。妻帯者の場合は、妻に三食まかせっきりという事態を防げるため、夫婦双方にとってメリットがあります。定年後の男性を対象とした料理教室は、「目的を達成する」という男性の習性にも合致し、なかなか人気だそうです。



第2章 「男子」として生まれた「不幸」(山中浩司)


気にかけていなかったけれどそういえばそうだな、というデータが登場します。


新聞データベースでは、「男の幸せ」という言い回しが登場する頻度は「女の幸せ」という言い回しの15分の1(p.60)であると。親視点からみれば、娘のリスクを心配し幸福を願うことがあっても、息子のリスクには鈍感で、息子が幸せかどうかを気にかける人は少ない、ということです。


あと、読書と男女差についても驚きです。

読書のモデルが多くの場合母親であり、保育や教育のために預けられる施設での教師の多くが女性であることから、「読書は女性的活動」というイメージができている。「父親が息子に」本を読んであげる、という図はなかなか浮かばない。

言われてみればそうかもしれません。男性読書モデルへのアクセスを男子に与えることを目的の一つとしたプログラムが、アイルランドやイギリスではあるのだとか。(p.72)


ことは、読書に限りません。

学校的活動全般が、「男らしさ」に反する、「女性的活動」に位置付けられているともいえます。学業で優秀な人をバカにするような空気があります。男性間には、「逸脱」することで「男らしさ」を示す文化があるため、ここを変えないことには、学力は女子に抜かれ続けるでしょう。


「これまでその差異が問題にならなかったのは、教育機会が明らかに男子に有利に配分されていたからで、機会均等になれば、粗暴さや、学業軽視を自慢にし、教室でのコミュニケーションが苦手な男子は守勢に回らざるを得なくなる」(p.77-78)


第3章 寄る辺のない若年男子-若年層における孤立問題の男女比較から(平野孝典)


ここでは、「孤立」を、「困ったときに頼りになる人がいない」状態と定めて、現状を見ていきます。

執筆者の平野さんは自身が「若い」「男性」であることから、今後孤立問題に直面する属性としての意識があるようです。

というよりこの孤立問題は、私も気になります。男友達ほしい。


日本版総合的社会調査2010年版の分析結果からは、3つのことが示されています。

  1. 若年層(20-39歳)で、困ったとき実際に相談を聞いてくれる者がいなかった人は、7.6%いる。

  2. 若年層においても、男性は女性よりは孤立しやすい。

  3. 男性は女性よりも友人に頼ることができていない。

相談する相手としては、「友人」に次いで、「(同居)家族」が多い。だが、「親」はいつまで長生きするかわからないし、「配偶者」という存在は未婚率が上がるなかでそもそも「いない」という男性も増える。具体的な解決策はない。


ここで私は思います。同時並行して読んでいた『ニュー・ダッド』(著者はゲイです)にもあったように、男性同性愛へのタブー視が減れば、ヘテロ男性も生きやすくなるだろうと。男性同士もじゃれあったり、気軽に相談したりしていいはずなのです。



第4章 「男」は病気か?-メタボ検診と男性(古川岳志・山中浩司)


前半の、「Y染色体は障害もちだ、男は没落の運命にある」(ドイツ雑誌『シュピーゲル』より引用)という憂いは、やはり理解できなかった。


この章の本題は、メタボリックシンドロームという言葉が広まり、これまで「男らしい」とみなされてきた暴飲・暴食などの生活習慣が是正されるよう保健指導に組み込まれていった(p.148)、という話です。


国は、医療費削減という課題のため、将来高額の医療費を使う人を少しでも減らすために、生活改善によって食い止めるよう呼びかけたわけです。日本のメタボ(内臓脂肪症候群)の研究は世界トップレベルだとか。


興味深いのは、日本は珍しいことに、特定健診制度での腹囲測定の基準が「男性85cm以上、女性90cm以上」で、男性に厳しく、女性には緩い点です。日本以外の国では男女の基準値は同じか、女性の方が小さい数値になっています。日本では、「女らしさ」に縛られている女性たちは「痩せすぎ」なので、厚生労働省はこれ以上「痩せなさい」というメッセージを女性には送りたくないようです(p.155-156)。


というわけで、「将来の生活習慣病を未然に防ぐのが目的となれば、必然的に高齢者になる前の、現役世代の男性がターゲットということになるのだ」(p.159)

なんなら男性限定の健診でもいいくらい(だけど表向きの男女平等のため、女性にも健診実施している)だといいます。とはいえ保健指導を受けに行くとなると、本来のターゲットだった「働き盛りでお腹の出た男性」は忙しいので、そんな余裕はありません。


医療費削減のために特定健診制度が導入されることへの批判も紹介されています(p.175-)。これって本末転倒じゃないの?というツッコミは、いくつかなされてきました。



第5章 男はなぜ自殺するか?-女性の労働参加と男性の自殺(阪本俊生)


ディルケムの『自殺論』によれば、貧しい地域では自殺率が低く、裕福な地域では自殺率が高かったため、貧困には自殺の抑止力がある、とされていました(p.200)。

しかし、社会が変われば、自殺と経済の相関も変わります。


20世紀に入ると逆に、「不況のときほど自殺する」「経済が好調だと自殺率が下がる」ことになります。西欧において栄光の三十年と呼ばれる1940代後半〜1970年代は、経済的に豊かになり、それが自殺防止になる社会でした。


しかしまた、1980年前後に転換期がきます。日本は経済好調のバブル期を迎えましたが、西欧諸国はそういうわけではありませんでした。にもかかわらず、西欧諸国では「経済状況に関係なく」自殺率が下がっていく、新しいタイプの社会になったのです(p.205)。


日本はといえば、新しい変化が起きず、あいかわらず1940代後半〜1970年代の変化を引きずったまま、「経済的に豊かだと自殺率が下がり、貧しいと自殺率が上がる」しくみでした。経済状況は悪化しましたから、「貧しいと自殺率が下がる」ところが反映されたまま。


なぜ日本には、西欧型の「経済状況と無関係に、自殺率が下がる」変化が起きなかったのでしょうか?


そこから、女性の社会参加と、男性の役割についての質問に移ります。

ハッとさせられるのは、以下の記述です。

不況のときほど貧しい人より豊かな人の方が自殺しやすかったのは、不況のときには貧しさの理由を「不況のせい」にできるので、正当化の理由があるから自殺しなくて済むのではないか、という話に続いてこうくる。

「日本における男性の場合も、失業や倒産が自殺に結びつくのは、単に稼ぎがなくなることによる経済苦からではない。それによって、周りの人びとに合わせる顔がなくなるとき、自殺をしたくなるのではないか。(略)失業によって男性が人に合わせる顔を失うという男性役割の面から考えねばならないだろう。」(p.215)



第6章 単身男性の街(石川翠)


「単身男性の街」というフィクションではありません。

男性人口比率93.7%を占める、大阪府西成区の「釜ヶ崎」の話です。執筆者は、神戸新聞記者の石川翠さん。


釜ヶ崎については、「メンズリブ研究会」を発足させた水野阿修羅さんのインタビューが参考になりました。


本書にも、釜ヶ崎で生活する男性たちのインタビューがあります。

その土地にはその土地の文化やコミュニケーション方法があり、「後腐れのない関係」でやっている釜ヶ崎の人にとっては、生活保護を受けることで、その望ましい関係を維持できなくなることにも繋がるといいます。「奢り奢られ」のバランスは崩れ、お金を受給しているなら常に奢る側。家があると知られると、 ふらっと「じゃあ帰るな」と別れることはできなくなるのです(p.240-248)。

当事者にとってかえって孤立を深めることになる、かもしれないというのは覚えておきたい。



エッセー 僻目のベビーブーマー論 橋本満


各章の終わりに6つに分かれて掲載されているベビーブーマー論、とても面白かったです。そして、しんどかった。

大きな「塊」として人口を形成するベビーブーマーたちが社会からどう(酷く)扱われてきたか。


感想

嘆きだけでなく、ふだん考えない視点がデータに基づいて書かれており、読んでよかったです。逆に、数で語られがちな「ベビーブーマー論」は、その当時を生きてきた当事者がどのように社会を見てきたのか、広く読まれてほしいと思いました。

これから『死に方編』も読みます。

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