こんにちは、周司あきらと申します。
私は「女性」から「男性」へ社会的な性別移行を経験したことがある、トランス男性みたいなものです(「トランス男性」は従来「FtM」と表記されることもありました)。
ベトナム旅行中にビール飲みながらこれを書いてます。なんで旅行中に無償労働してるんだ?とは思いますが、トランスヘイトがゴミなので、「それはゴミだよ」と言うために書いています。私はトランスジェンダーの人に死んでほしくないので。
私もトランスジェンダーの一員ではあるのだけど、自分自身はおおよそ性別移行が済ませられていて、そのへんの「男性」と区別つかないくらいに埋もれています。だからまあ、比較的「安全圏」にいるのかもしれません。とはいえ海外旅行のようなケースでは、トランスバレすると殺されるんじゃないか、何かまずい目に遭うのでは、と危惧するので、自由に旅行できるとも言い難いんですよね。今のところは無事ですが。法的な保証の有無は、こんなところにも影響します。
本ブログは、一昨日書いた記事「トランス差別の「素朴な疑問」あるある」の第二弾です。3問あります。今回はもうちょっと楽しい話もしたい。おまけに個人的な話もしてるので、この記事は全然「トランスジェンダーの」総意ではありません。ここのところご了承ください。
Q、トランスジェンダーの男性(トランス男性)って、「男になりたがっている女」のことでしょ?
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A、ハズレです。それってメディアの影響でしょうか?たしかに以前、『金八先生』で上戸彩さんが性同一性障害の生徒(今風にいうとトランス男性の役)を演じたり、『ラストフレンズ』で上野樹里さんがトランス男性の役を演じてたみたいですね。だから「ボーイッシュな女性」がトランス男性なのか、と思い込んでしまうのはあなただけの責任ではないのかもしれません。可視化されている事例にあまりにも偏りがあるのが悪い。
実のところ、トランス男性のコミュニティではむしろ逆で、「ちゃんと男である」と自他ともに「証明」する必要に駆られて、けっこう男っぽい表象を選びとるトランス男性も多いわけですが……。オラオラ系の男性のイメージ。
これはひとえに、「女みたいじゃね?」と他者に判断されると、「何食わぬ顔で男性としてやっていく」ことが不可能にさせられるため、トランス男性たちが涙ぐわしい努力をさせられている、とは言えそうです。だから、その努力不要なシスジェンダーの人たちが、「トランス男性は男らしさを強化しているだけだ」「トランス女性は女らしさを強化しているだけだ」などと批判する筋合いはありませんよね。あなたがたがトランスジェンダーを危機に晒さなければ、トランスジェンダーも好きな格好をすることができます。
今のところ正しそうな説明をすると、トランス男性とは「出生時に割り当てられた性別は女性だが、ジェンダーアイデンティティ(=性自認、性同一性)が男性である人」を指します(トランス女性は、この男女逆です)。
つまりトランス男性とは、自分のことを男性だと認識していて、「女性扱いされるのはおかしいな、なんで自分は男性のグループにいないのだろう?」という違和感を持つことが多いわけです。男性の集団に帰属意識を持っている、とも言えるでしょう。
※わかりやすい動画も貼っておきます。
基礎から学ぶトランスジェンダー【男女共同参画課】西田彩さんhttps://youtu.be/ELZTd_fiVmg
“一時的に「心の性別」を主張しただけで性別を変えられるわけないだろう!”と、デマに煽動されている人はどうか、性別が一分一秒と生活に染み渡っている基準であることを思い出してください。一時的にどうこうできるものではありません。そんなこと、トランスジェンダーの人たちが一番知っています。
道の向かう側から歩いてくる人の「性別」、電車で隣に座る人の「性別」、新聞やテレビの報道で表記される「女性/男性」、ジェンダー分け装置である学校、あからさまに性差を持ちこまれる就職・就業の数々…….。性別を意識せずに済む瞬間って一体いつあるのでしょう?それが、他者認識とちがうという地獄。その地獄をトランスジェンダーの人たちは生きています。
国によりけりですが、自殺を考えたことのある人が9割、自殺未遂が4割、なんてデータも見たことがあります。邦訳された『トランスジェンダー問題』や、今後発売予定の『トランスジェンダー入門』にそういった基本情報が載っています。「データはどこだ!」と気になる方は、私に無償労働させないで、アクセス可能な情報を少しは確認してください。疲れました。
Q、トランス男性は男子トイレを使用するのが怖いんでしょう?逆に、トランス女性は(シスジェンダーの)女性を侵略するために、女子トイレを使いたいんでしょう?
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A、トイレにそんな意味づけをするなんてびっくりです!後者に関していえば、「女性が女子トイレを利用する」だけの話でしょう?
で、トランス男性のケース。トランス男性に対する差別は、おそらく3種類に分類可能かと。①ミソジニー(女性嫌悪・蔑視)に基づくもの、②トランスフォビアに基づくもの、③ミサンドリー(男性嫌悪・蔑視)に基づくもの、の3つです。
つまり差別者が
①トランス男性を「女性の亜種」「言うことを聞かない女」と認識することによる差別=ミソジニー
②トランス男性を「トランスジェンダー」「男女どっちつかず」と認識することによる差別=トランスフォビア
③トランス男性を「規範から外れた男性」「弱者男性」と認識することによる差別=ミサンドリー
の3つが考えられます。それらが重なり合うことも。
「トランス男性は男性だから、ミサンドリーだけ被っているのだろう」とは解釈しづらいと思います。これは当事者のジェンダーアイデンティティの問題だけでなく、差別者がどう判定するかにも関わってくるためです。私はそう捉えます。
そのため、トランス男性が男子トイレ(他の男性用スペース全般に言えることかもしれません)の利用を躊躇うとしたら、①〜③いずれの背景もありうるでしょう。「男性」としてみなされることが少ないトランス男性からしたら、我慢するか、女子トイレか、多目的トイレを使うことになりがちです。外でトイレにいくのを我慢して膀胱炎になる当事者もいます。
単純に「身体が女性だから、男性側は怖いのだろう」と第三者がいうのは、これらの背景のうち①しか想定していません。
しかし、「身体が女性」という言い方は、正確ではありませんね。人の性別ジャッジメントなんて、けっこうテキトーなのですから。他人の服の中がどうであるかにかかわらず、「あの人は男性(にみえる)」「だから、男性の身体」と私たちは見なしています。
そして日常的に男性として「パス」しているトランス男性の場合、その状態で男子トイレを使っていなかったらむしろ浮いてしまいます。
なんというか、シスの男性の身体も様々なわけですが、トランスジェンダーの話をするばかりでシスジェンダーの多様性を不可視化しすぎてますよね。正直、私(トランス男性)よりも背の低い男性、声の高い男性、筋肉のない男性、体毛の薄い男性、胸が膨らんでいる男性、不審な振る舞いをしている男性、などもいるわけですが。そうした(シスであろう)男性たちを男性用スペースから追い出そうとする必要もないですし。
トランスジェンダーの性別の話が出るとすぐ「トイレ」「公衆浴場」「スポーツ」の三種の神器(!?)を持ち出す人がいますが、それは現実を無視しています。性別はそんな3つの領域だけで適用されるものではなく、多岐にわたって適用されているからです。だから他の日常生活で「他者からどんなふうに性別を見なされているか?」に応じて、トランスジェンダーの人たちは使用スペースをコントロールせざるを得ない、のがリアルでしょう。
ふだん「女性」としか見なされていない人がトイレだけ「男性」側に入るとか、どこの世界の話をしてるのかわかりません。妄想で話さないでください。トランスジェンダーの人たちにも、生活があります。
Q、トランスジェンダーの医療をして、後悔したらどうするの?「男になろうとしたけど後悔してやっぱり女に戻りました」という記事を見たことがあります!ほら、トランスジェンダーなんて存在しないんだ!
(これはトランス差別に両足突っ込んだ人の「素朴な疑問」かもしれません)
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A、そうですか。私も見たことがあります。性別移行(transition)を再び戻す、俗にいう「ディトランジション(detransition)」ってやつですよね。私はこの辺詳しくありません。とりあえずわかること、言いたいことを書きます。
・・・ちなみに私は自分のことを強く「男だ!」と思っているわけではありません。というか、別に「男である」とか思っていません。でも、死なないためにそれがベターな手段だったみたいで、今なぜか「男」をやれています。だから「男」を引き受けています。
たぶんこういう「なんか知らんけど、男できちゃってるわ〜」みたいな人はシスジェンダーの中にもいますよね。
けれど、私はそんなふうにハッキリ「男だ!」と認識していなかった分、「もし男性化の治療をしたら後悔するのでは?」と心配していました。ホルモン投与も手術も、基本的には戻せないですから。シスジェンダーの男性に生まれたらこんな心配していなかっただろうに。
「治療すると後悔するぞ」という脅しを見かけることがありましたし、自分の身のことですから、たぶん私が一番気にしていたはずです。ほかの誰でもなく。
結果として、心配しただけ損した!って感じです。悩みすぎました。「もっと早く治療すればよかった」とか、「治療をまったく後悔していない」という多数派の声を消さないでください。治療に慎重になるのは必要なプロセスでしょうけれど、慎重なあまり自分の人生を台無しにしないことも大事です。
そして逆に、私からの素朴な疑問。後悔して何が悪いのでしょうか?
トランスジェンダーの性別移行にかかわる医療に手を出した人は、まず前提として、生まれたときからの成長過程に納得のいっていなかった人、ということですよね。ディトランジションした人も、シスジェンダー的に成長していく自分の身体に納得がいっていなかった、というわけです。だからこそ治療を試みた。ですよね?
いいじゃないですか。シスジェンダー的な成長ーーようするに生まれたときに性器のでっぱり一つで運命付けられてしまった「性別」に準じた成長ーーは、誰も、選んでいません。シスジェンダーの人は、シスジェンダーらしく(つまり生まれた時に医師に指定された性別通りに)成長していくことを、一度も選んだわけじゃないはず。
あなたが女性的に成長したのは、あなたが「自分は女性だ」「女性的に成長したい」と願ったものではありません。選択の余地なく、強制させられたものにすぎません。あなたが男性的に成長したのは、あなたが「自分は男性だ」「男性的に成長したい」と願ったものではありません。選択の余地なく、強制させられたものにすぎません。シスジェンダーの成長は、誰も願って選び取ったものではありません。そうですよね?
でも一方、トランスジェンダーの医療を望んだ人は、「この身体の成長はおかしい、別の性別のように変えたい(変えなければ)!」と、別の性別らしくなるようある意味で「選んだ」わけです。強制させられた「出生時の性別」に抗おうとしたのです。
この点、押し付けられているシスジェンダー的な成長とはちがって、トランスジェンダー的な成長は必要に応じて選ばれているものといえそうです。ごくごく少数(マジで少数、わざわざニュースになってトランスヘイターが拡散するくらいに。)のディトランジションした人は、シスジェンダー的な成長が「違う」と感じて、トランスジェンダー的な成長を試したけれどこっちも「違う」と感じたのでしょう。ですから、そもそもシスジェンダー的な成長に対しても、なんか違うと違和感があったわけです。それを、「ほーら、シスの女性に戻ったんだ!」とだけ解釈するのは、あまりにも当人の意思を軽んじているのではないですか。
あと、一時的にホルモン投与を中断しただけの人まで、「ほーらディトランジションした!やっぱりあなたはトランスジェンダーじゃなかったんだ!」と早とちりするのはやめた方がいいですよ。金銭面、体調面、自分の子どもを望むかどうか、などで治療の進展には差があります。トランス男性やトランスマスキュリンな人のなかには、「体調が悪くなるからホルモン投与を控えた」「得たかった変化である声変わりが叶ったので、男性ホルモンはもういいや」なんて人もいます。人の事情はさまざまです。ディトランジションした人のなかには、「治療をやめたとはいえ、別にシスジェンダーなわけではないし」と自己理解している人もいます。広い意味で「トランスジェンダー」だったり、あるいは男女どちらにも所属しない「ノンバイナリー」のラベルで納得する人もいます。
「トランスジェンダーの成長=悪いもの、おかしいもの、逸脱したもの」という前提をやめてみてもいいのでは?
トランスジェンダーの身体が悪いものだとは、思いません。トランスジェンダーへのスティグマが酷すぎるので、自分の身体を受け入れることがことさらに難しくさせられています。そんな現状があります。性別違和ゆえ自分の身体を忌まわしく感じるのがやむを得なくても、他者に貶められる筋合いなどありません。トランスジェンダーの身体だって悪くないです。悪くないから。自傷も自殺もしなくていいから。
飲み終わったので、帰ります。
〜続き〜
トランス差別の「素朴な疑問」あるある3
なんだか世の中の人々の話を聞いていると私は往々にして「性別信仰」の話をされているように感じます。
キリスト教の洗礼というものは一度受けたらやり直せないって言われているんですよ。
中には幼児洗礼の方もいますし、大人になってからの人もいますし、死ぬ直前に受ける方もいますし、昔は治療や食料と引き換えに洗礼を授けるなんてこともあったそうです。
あなたはキリスト教徒だからといって特別視する人なのでしょうか。確かにキリスト教徒と言っても色々な宗派がありますし、同じ宗派の中にも色々な人がいるでしょう。それこそ男性も女性もいるでしょうし、日本人もそうでない人もいるでしょう。逆にあなたはキリスト教徒でないからといって特別視する人なのでしょうか。確かに宗教はキリスト教だけではありませんからね。
聖書にも少しはいいことが書いてあります。イエスの父であるヨゼフは養父だがイエスの親だということ、また、イエスは死んでしまいましたがそれで世界が終わってしまわなかった事などです。おかげさまで、私は今こうしてここにいます。
私は性別を信仰していませんが、性別を信仰することを愚かな事だとは言いません。ただ、弾圧されないように生きていけたらなぁとは思います。さとみ