待っていました。
『ジェンダーで読み解く 男性の働き方・暮らし方 ワークライフバランスと持続可能な社会の発展のために』(時事通信社)
多賀太さんの著作といえば、主だったところで『男性のジェンダー形成』(2001)、『男らしさの社会学』(2006)、『揺らぐサラリーマン生活』(2011)、『男子問題の時代?』(2016)など、5年ごとに何か出版されている印象でした。五カ年計画ならば2021年に新しい本が出るのかと思っていましたが、忙しく2022年刊行になったそうです。コロナウイルスの影響やLGBTなど、従来の「男性」のあり方を揺るがす話題があったから遅れたのだろうか、と勝手に思ったりもしましたが…..。
本を開くと、あれ、多賀氏の文章ってこんなに読みやすかったっけ。とまず驚いた。すらすら読める。
ついで、「トランス男性」「性の多様性」「ノンバイナリー」などの用語が使われていることに驚く! 12ページ分(p54-65)は『「男」とは誰のことかーー人間の性の多様性』について記述されている。ほおお。感動した。
コロナ禍で解消、平日昼間問題。
これまでは「平日昼間に男性がひとりで出歩きにくい(=男性は働くのが当たり前、という偏見)」という問題が指摘されていましたし、男性の生活を変えるのは容易ではないと相当諦めモードだったことと思います。
ところがコロナウイルス感染拡大によって、急に全世界が変わってしまった。日本の男性も「自宅でテレワークでもしているのか」という想定で、平日昼間問題はある意味解決に向かったと言える。男性が出社していなくても怪しまれる機会は減った。政策ではなく、ウイルスによって、日本の男性の働き方が変えられていく様は皮肉でもある。(これ想定されているのは都市部に限りますがね。)
(育休同様、テレワークの場合も、「夫がいることで却って家事が増える......」と不満を募らせる女性もいます。p110-114参照)
第2章は、「ケアする男」「ケアする男らしさ」(caring masculinity)の話。
かつての工業社会では、筋力労働の需要が高かった。だから男性労働者に対する高いニーズがあった。しかし現代では産業構造が変化し、従来女性向きとされていた配慮や世話といったケア労働に需要が出てきた。
男性の中でも学歴や資格で不利な人々が職につけるチャンスを狙うなら、ケア労働を忌避せずやっていこう、という方向へ多賀氏の話は進む。
すごく悪い言い方をすると、「(職業選択のうえでの)弱者男性はケアする仕事につけば?余っているのはそこしかないよ」という提言に聞こえる(p72)。
当の「学歴や資格で不利な」男性たちは、どう受け止めるのだろう。肉体を酷使する筋力労働よりは向いてる、良かった、実はケア労働の方がやりたかったんだ、と肯定的な人々ももちろんいるだろう。
ちょっと興味深いのだが、私はいわゆる「男性差別がある!」と提唱していた男性マスキュリストというのは、かなり好意的に読むと、肉体労働に従事する男性を念頭において声を上げていたような気がするのだ(※)。実際に肉体的にキツイ仕事でこんなに男性は怪我をしている、死亡している、徴兵制だって男というだけで駆り立てられて使い棄てられる、というふうな主張に。だから肉体労働に従事する男性像から「ケアする男」が主流に移り変わっていけば、そうした「男性差別がある」論者の言い分はどんどん書き換えられていき、ゼロにはならないまでもほとんど無効化されるのではないのか。どうだろう、気になる。
(※「男性差別」という表記について。男性が男性ゆえに被る不利益、といった意味合いだと解釈している。今や男性が女性から抑圧されている、女性こそ優位である、といった妄想には最初から付き合う気はない。)
ところがオーストラリアの研究によると、「ケアする男」の実態について、肩透かしをくらう。育児参加している父親たちは、旧来の男らしさを気にかけており、すでに職業的成功を収めていて十分に「男らしく」いられるからこそ、育児という役割をプラスできていた傾向があるという。全然「新しい男性性」ではないんじゃないの、という結果に。
日本でもそうした研究結果が出ていると多賀氏はいう。旧来の男らしさにこだわり、「競うように」「優越の証として」家事・育児に参画する、「ケアする男」たち。こうした事態に対して、田中俊之先生も注意を促していたな。結局のところ「できる」男性だけが、さらにケアという新しい役割も「できる」だけ。「旧来の男らしさ」が揺るがない!という自信や実績がないと、ケアにたどり着けない。きっついですね。
ただし、トランス男性の場合は異なる気がします。
これもまあ、トランス男性自身が望んでいるというよりは、あまり嬉しくない背景によるものかもしれないが。
「女性ジェンダーで育てられてきたから」
「男性ジェンダーの競争意識を植え付けられてこなかったから」
「トランスジェンダーゆえ、低賃金のケア労働しか選択肢がなかった」
「トランスジェンダーゆえ、学歴社会からドロップアウトしてきて、シス男性のサラリーマンルートに乗れなかった」
という可能性は浮かぶ。
そういうわけでトランス男性の場合、本人が望むと望まざるとに関わらず、「ケアする男」なのでは?とも予想した。従来の男らしさにプラスしてケアも獲得する、という文脈ではないため、ある意味「新しい男性性」として「ケアする男」であるのはトランス男性の方かもね。
また事実は不明だが、「介護職が多い」「(女性ジェンダーで育てられてきたため?)気が効く」という言及も見たことがある。それらの噂が事実なら、トランス男性はすでに「ケアする男」の最先端の生活実態を持つ可能性はある。(こういうのってどうやって調べればいいんでしょうね)
とはいえケアへの態度という点では、トランス男性もそのへんのシス男性と大差ないように感じて、少々不甲斐ない。はたしてトランス男性は、ケアの価値を受け入れているのだろうか?そうではなさそうな。
第5章はハラスメント、
第6章はドメスティック・バイオレンス(DV)について。
全体通して、多方面に配慮して書かれている、と感じた。
性被害の話題であれば、女性が圧倒的に被害者になるケースが多い現実を告げた上で、不可視化される男性被害者の立場や、同性カップルでも「力」の不均衡があるときDVが生じうることについても触れられている。
「男性の性被害」という観点から。
トランス男性の性被害は「男性の性被害」の中でもとりわけ無いことにされるのではないかと懸念する。実は私も、「男性の性被害」をテーマとしたインタビューに少しだけ参加させてもらったことがある。「無いことにされる」「泣き寝入り」のトランス男性が今後減っていくといいなと思う。
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