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『男らしさの歴史2』旅を男のものとする理屈

藤原書店から出ている邦訳『男らしさの歴史』(アラン・コルバン他)全3巻から、とくに興味深かった章をまとめる。



●フランスは無理して「男になる」?


私が好きなのは、2巻の「第5部 男らしさを訓練する異国の舞台」ー「第1章 旅の男らしい価値」(p.415-)だ。以下、引用ページはすべて2巻より。

どの巻も600ページ〜800ページほどある充実っぷりで、1巻は古代ギリシア→古代ローマから始まるものの、全体としてはフランスの「男らしさ」の変遷がわかる内容になっている。ステレオタイプ的ではあるがフランスっぽくて笑ってしまうのは、フランス人目線でいうとイギリスやアメリカの男は野蛮だし、女も野蛮だという言及がちらっと垣間見えるところだ。仲が悪くて....笑


しかも、フランスは自国が「男らしいアピールをしていても、女っぽく見られてしまう」点がコンプレックスなのでは?という疑惑は、1870年に普仏戦争で敗北をしたフランスがその後に植民地支配する際にも見えるので、これまた失笑してしまった。


現地人(ここではアラブ人)からすれば、フランスが頑張って擁立した共和国も皇帝の鏡像も、女にみえていた(p.455参照)。フランスからすれば植民地支配するうえで女性と同一視して見下したい現地人からまさに、「フランスって女っぽくね?」と舐められた状態なのだから全くもう!というわけだ。たぶん、フランス以外の植民地支配した欧州は、もっと純粋に「支配する国=男ポジション」「支配される側=女ポジション」を保ちやすかったのだろうに、フランスは無茶したね。


植民地支配するには、「現地人」を一方では獣のように扱いながらも、他方では女性化して従属させ、正しい男らしさに向けて導くことが大事になってくる......という。「野蛮人」や「獣」扱いと、女性扱いを同時にするとは一見相反するようだが、男らしさや性的要素が過剰であれ不足・無知であれ、「正しい道から外れている」という点ではいずれにしろ植民地支配する側が教え諭してやらねばならない対象になるのだとか。おっと、これは「第2章 十八世紀終わりから第一次世界大戦までの植民地における男らしさ」(p.447-470)の内容だ。


サン=シモン主義者は、人類の統一を、西洋と東洋の(神秘的)結婚になぞらえた。もちろん、西洋を男性化し東洋を女性化する表現体系として。


●旅は「男らしさ」の集大成


さて、本題。「第1章 旅の男らしい価値」(p.415-)をまとめる。


ヨーロッパ文学の源泉とされる二つの物語『イリアス』は戦いを、『オデュッセイア』は旅をモチーフにしている通り、旅と戦いについては人が最も記述してきた内容といえる。その裏には、男とは自力でたたきあげるものだという考えがうかがえる。


旅は、とっても男らしい!『男らしさの歴史1』で見たような多様な「男らしさ」がフルコンボなのがこの「旅」だともいえよう(ブログ内の太字は「男らしさ」にカウントされる要素を示している)。


道路は男たちのものだった。

一直線な幹線道路は理性の勝利であり、人の意思に自然が屈服することを表していた。

鉄道におけるトンネルのメタファーといえば男性器の挿入を彷彿とさせるエロティックなメタファーだし(笑いどころ?ヒッチコックの『北北西に進路を取れ』ラストシーンはまさにこれ)、洞窟が女性的なのとはちがう。

蒸気船ができれば、大海原でさえまっすぐな進路をたどることになった。ああなんて男性的だろう!交通革命では「進歩に向かって進む男たちの英雄的な努力」(p.422)がよくわかる。


啓蒙も、大事な男の役割だ。18世紀という時代は、探検家を「啓蒙の男」の主要な人物としえたほどだ(p.425)。


やがて旅は学術的な知識を生み出す手段となり、旅行者たるものを男の世界にしっかりと根づかせた。残念ながら今もそうなのだろうが、学術とは男たちの占有物だった。「十九世紀を通じてずっと、科学アカデミー、自然史博物館、地理協会、海軍省、外務省、陸軍省といった男ばかりの諸機関によって大がかりな学術旅行は企画、あるいは促進されたのだった。」(p.426)

ロビンソンものをはじめとする冒険小説が読まれるようになっても、登場人物はほぼすべて男性である。年若い少年は、冒険を体験することで「男になる」。


「(男の)子どもは「鍛えられ」なくてはならないという軍隊風の別の言葉が、冒険を体験して男らしい教育がなされるという考えをよく表している。」(p.443)


一方で女は家庭を支えておけばいいので、旅に出られても困るのだ。作者が女性のときでさえ、男ばかりの物語が書かれた。


●女性は参画すれど


少しずつだが、女性冒険家の姿も見えるようになってきた。女性による旅行記も出た。ただしそれは、学術的であろうとしていなかった。女性が増えたからといって、旅全体が「男性的」でなくなるわけではなかった。


なぜなら、女性には女性ならではの役割があるからだ。女の記録は探検の逸話的な面、風情のある面を担わなければならなかった。結局のところ、女性の探検家や冒険家に残されていたのは、男たちが危険を冒して未知の地域にまず足を踏み入れたときにはまだ調査しきっていなかった調査分野の残余をあさって「女性的な観察眼」(p.437)を発揮することだったり、私的な書簡や個人の日記として「学術的ではない」とみなされる指摘領域だったりした。

こうした「女ならではの力を活かす女」は男たちに歓迎されたが、考古学者ジャンヌ・デューラフォワのように「男らしい女」は「真の学問のまがいもの」だと批判を受けた(p.438)。古今東西、男側のみみっちい態度は変わらないらしい。


しかしながら、女性が旅をしないと考えるのは間違いだ。

19世紀には女性たちは「ツーリスト」化していた。おそらく女の旅は男たちによって統制されていたのであるが。

その意味では、1820年代にはじまった慣行、新婚旅行を挙げよう。女性たちの旅を正当化した一方で、夫がずっといなくてはならないという旅のモデルが重きをなしたのである。その目的はもはや「見知らぬ土地を発見するというよりは、夫の体、ひいては性の快楽を発見する」(p.444)ことになっている。げっ。


●「男らしさ」などないのかもしれない


このように、あらゆるところに「男らしさ」を見出し、「男らしさ」は称賛された。それって矛盾してるよね?という諸要素にも、「男らしさ」を見出して称賛するのだから、もはや何をしたいのだかわからない。


旅の話に戻ろう。

学術と数値での計測により学術探査が男らしさのモデルとされた」(p.431)わけだが、そんなふうに客観的に価値が測れるものを価値基準としてしまうと、ようするにそこで求められているのは器械の正確さであって、人格は不在となる。男らしさの基準が重視されるとき、個々の男は注目されない。むしろ抹消されている。


個々の男を抹消することで「男らしさ」が守られるだなんて、なんとも奇妙な話ではないか。日本の『男性史』(確か3)にも、「男に求められているのは経済力であって、「男らしさ」なんて存在しないのでは?」といった視点があった。本当にそうかもしれない。「男らしさ」とは、とんでもなく空っぽなものではないか。

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