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『フタリノセカイ』タイトルに反することとか。

ついに劇場公開されました。『フタリノセカイ


観てよかったです。

その日は飯塚花笑監督の舞台挨拶もありました。


構想から公開まで5、6年はかかったそう。「トランスジェンダー役をトランス当事者に」と言いたいものの、まず映画制作の現場が差別的な空気に満ちているなかで、トランス当事者の役者を一人二人採用できたとしても改善が望めるわけではない。だから今の日本では、トランスジェンダー等周縁化されてきたマイノリティの姿を描いた作品が少しずつ現れてくることに意味があるのでは。そういったお話はされていました。


ストーリーはトランスジェンダー男性の真也(坂東龍汰)と、シス女性のユイ(片山友希)の恋愛がメイン。ちなみに、私はキャッチコピーにある『愛に性別なんて・・・』の読解ができませんでした。「・・・関係ない」とは、まさか続くまい。


思いつくままに書いていきます。

“当事者”の愚痴みたいな、個人的なぼやきです。映画批評ではありません。こうしてトランス男性の映画が増えると、“小言を言える幸せ”みたいなものを見つけられて愉快です。


【以下、ネタバレあり】




●シス女性との恋愛って面倒くさい

チンコとSEXして結婚して子供産んで……という未来を「普通」ないし「理想」としてきた女性にとっては、トランス男性との遭遇は未知の領域なのでしょう。ユイの反応のいちいちが、そりゃそうなのでしょうけど、今の私視点では「シス女性との恋愛って面倒くさいな」に集約されました。

トランス当事者にはわかりきっている前提を、丁寧に共有していかなければならない、あわよくば同じくらい親身に自分ごととして考えてほしい、でもそれが自身のエゴだってことも自覚しなければならない。ああなんて長いプロセス。私が今後シス女性相手に恋愛したら、そんな途方もない過程を経なければならないなんて、私にはそんなガッツがもうないな、と純粋に感じました。なんだかもう日常になってしまった私の世界観を、未だ珍しがるお相手(≒世間)にわざわざ合わせていかなければならないのか?なぜ?とっても疲れるんだけど。


ただ、片山友希さんの演技の巧さなのか、だんだんと(真也よりも)ユイの方に気持ちが乗せられるような気もして。なんとも不思議な感覚を味わいました。


あと予告動画で印象的なセリフ。

「LGBTの理解が進んだとか、こんな田舎にいたらあたしたちには全然関係ない!何も分かってないなら、あたしたちに知ったような口きかないで下さい!」


これ、ユイが真也の母親に向かってキレたときのセリフなのですね。ユイを演じた片山友希さんは、なぜパートナーの母親(姑になるかもしれない人)に向かってこんなに怒るのか理解できなかった。しかし飯塚監督が説明して腑に落ちたらしい。です。「一番の理解者だと思っていた身近な人が、実は全然何にもわかってなかったからだよ」



●まだ胸オペしてないの?

2年も経ってるのにまだ胸オペしてないの!?手術するんだ!とあれほど意気込んでたのに!?舐めとるのか


と、真也に対して思ってしまいました。辛辣ですけど。私が自分自身に「とっとと金貯めて手術するぞ」と命じてきた分、叱責は容赦ないです(これは地域格差をそれほど視野に入れずに生きてこられた私の特権に過ぎないとはわかるのだけども)。


真也は優先順位を考えるのが苦手なのでしょうか。振る舞いから見ても、性別不適合なことによる焦りはあるのだけど、もうそればかりで、真也自身がゆっくりじっくり自分と向き合って考えるような描写はなかったような気がします。普段は埋没してる分(シス男性であろうイケメン俳優が演じてるだけあって、トランス男性界隈では相当“勝ち組”でしょう)、胸や戸籍の話が出たときの取り乱しようは、こう言いたくはないけれど、とても子どもっぽくて自分勝手にすら見えるかもしれません。なんか、かつての私もそう見られていて、だから見捨てられたのだろうな、と妙に納得したりして。話を戻そう。


ユイも「手術して戸籍変更して結婚する」という(二人の)目標より先に、婚約指輪を渡してくる真也には腹を立てていました。

「シンくん、男の子にはわからないのかな?」「女性はね、何歳で結婚して子ども産んでって考えてるんだよ」とユイ。ここの“男の子”は皮肉が効いてますね。真也は“男の子”ではあるが、結婚とか出産とか自分ごととして考えてこれなかった“男の子”でしょう。


それに対する真也、「俺も半分女の子だよ」と屁理屈。皮肉には皮肉で返す。こういうときだけ“女の子”と。

このしょうもないワンシーンはやけに記憶に残りました。真也からしたら、トランスではない“普通の”男にユイを取られたりする前に、結婚の契りが欲しかったのでしょう。その気持ちもとてもわかります。でも、けれども手術せず服は脱がずどうにも自分の体がままならないことが二人にとってわかりきっている現状で、指輪が救いになることはないんじゃないかな。息が苦しい。なんでしょうね、この真也のカッコ悪さ。惨めだ、それは自分が一番知っている。知っていても。


●容赦ないよね、後半。

予告動画で目撃したのは、ほんの前半部分だったのだとわかります。後半はこうくるか、と。家族になります。3人で。



ユイはユイで、子どもが産めない体質なのかもしれません。子どもが出来てそれでハッピー、ともならない。なれない。だから『フタリノセカイ』か。いやしかし。あの10年という長期間のなかで、はたしてちゃんと二人の世界はあったのだろうか。線でも面でもない、点と点の描写が続くので、そこに一つの繋がった物語があったのかどうか。余白は多い。


ラストシーンは、私は状況が読めませんでした。真也の裸体の上に、なぜ。そして最初に脱いだシーンから何年も経過したはずなのに、相変わらず胸が大きいのも違和感がありました。ナベシャツを使い続けているならせめてもっと垂れているのでは…..。あのワンカットは幻想のようでした。そんなにそっくりそのまま胸が大きいわけあるかね。意図的なのではないか。真也にあえて女性的なイメージを投影させたかった......? そして、「性別なんて関係ない」と受容したかった?いや、まさか真也が代わりに?

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