すごく大切なことが言語化されていて、読むべき本だと思います。幾多の痛みを引き連れていることが文章から伝わりました。
ただ、この本に限らないのですが、杉田俊介さんの文章には妙にザワザワしてしまうのはなんででしょうね。
「強く濃く線を引く」こと。男性が即座に被害者意識に陥らないためには必要だといいます。
男性ーーマジョリティ男性、異性愛の多数派男性、シスヘテロ男性を指すそうですーーは、そんなに器用に線を引くことができるのでしょうか。いや、そもそも線引きというのがどこまで有効でしょうか。
もちろん“多数派男性”が自分の立場をこれでもかというほど自覚し実践することが必要なのは同意します。でも、その前提となるであろう“線引き”そのものに失敗しないでいられるものか、私は不安を感じます。
「男性と女性と性的少数者」という言い回しが度々登場します。
杉田俊介さん自身は非当事者であると断りを入れながら、丁寧に性的マイノリティの歴史を記述しています。まあ「トランスセクシュアル」と「トランスジェンダー」の分類は今では不要なのでは?という感想はもちましたが。
「男性」である自分自身と、「性的少数者」は別物です。それは間違っていません。けれども?
トランス男性やゲイなど「男性」かつ「性的少数者」である者は、もはや「性的少数者」としての自覚よりもより多く「多数派男性」に近い位置を占めている場合があります。このあたりはどう考えていらっしゃるのか気になりました(といっても、やはり非当事者なので口出しできない話題なのかもしれません)。
杉田俊介さん自身が大丈夫だとしても、前提知識のない読者が読んだ場合は、どのような影響を受けるのでしょう?
「男性とトランス男性」という言い回しを平気で採用しそうな怖さがありました。
(もし分類するなら「シス男性とトランス男性」と記述すべきだと私は捉えています。なぜなら、トランス男性も「男性」の範疇なので、あえてそこから分離させることはトランス男性に対して「あなたは男性ではありません」と告げているように映るからです。つまり、トランス差別と地続きの怖さがあります。
もちろん、「(多数派)男性」には含まれないのかもしれませんが、その線引きが常に正しいのかどうかは微妙です。トランス男性の場合、もはや女性・性的少数者への差別を受けなくて済むような境遇だと実感したら、「女性(シス女性・トランス女性)」「性的少数者」よりは「男性」としての優位性を保持しているといえる場面があります。
このあたりはシスヘテロ男性に該当するであろう人が発言しにくい“抜け穴”でしょうから、指摘できる人がしなければならないのでしょうが......)
もう一つは、「男性と女性と性的少数者」として捉えた場合、外野の「女性」の意見も様々であり、なかには差別をする女性もいるわけですが、そのあたりを批判しにくいことが予想されます。
例えばの話。
「女性と性的少数者」の権利を「男性」である僕が考えた場合、もう少し「(生得的)女性」の性被害に配慮して、「性的少数者(であるトランス女性)」は女性用スペースを使うのを控えてくれ、などと言い出す男性陣を連想してしまいました。トランス女性がすでに女性として在ることを見逃していたり、「女性」の中にも性加害者がいる、といった事実を指摘できなくなったりしそうです。ザワザワします。
トランスジェンダーはシスジェンダーの男女が経験する以上に、複数のジェンダーを体験してきている可能性があります。そうした人々に対しては線引きができないかと思いますが、線引きができないからといって、「男性」または「女性」として想定され得る生き方をしていないというわけではありません。
「マジョリティ男性」への呼びかけとしては重要な点があるのは間違いありませんが、その「マジョリティ性」が揺らぐことがあるのもあらかじめ承知しておいた方がよさそうです。
※著書の中では、どうしても触れておきたいこととして「トランスフォビアとトランスフェミニズム」についての記述があります。これには感謝します。※
『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か』は「# MeTooに加われない男たち」がタイトルにあります。読み始める前の予想では、「# MeTooに加われない男たち」とは、性被害に遭った男性がマジョリティ男性だと思われているがために、女性が中心の運動に見える# MeTooには加われない、という話が含まれているのかと思っていました。しかし、その話ではありませんでした。
男性に対して「加害をするな」と教えるのは大事なことです。
ただ、同時に男性自身が性被害者となる可能性も教えるのが良いのでは?と(「自衛しなさい」というのは無理な話ですから、そうではなく被害後にアクセス可能な情報を共有しておくのが有効か。これには、男性向けの相談場所やシェルターを増やす必要があります)。
これは「なぜ人を殺してはいけないのか」というテーマと似ています。「お前も殺されたくないだろ?だったら、お前自身も人を殺すな!」という具合です。性被害に遭いたくないのであれば、あなた自身も性加害をしてはいけないよ、という。教え方には賛否両論あるでしょうが、単に男性を加害者側として固定して想定するよりは、柔軟に、被害者となる場合も想定していた方が色々と効力があるように考えています。
あと、マッドマックスはこれから観ます。
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